2012年01月13日
南洋慰霊と交流の旅
さて、そうこうしているうちに2011年の5月も終わりに。
毎年恒例と化した南洋慰霊と交流の旅に出ました。
2011年は、台風の影響で1日早く出発し、東京で観光をするとのこと。
ま、まじ?ジュンク堂でのmomotoトークセッションもあったので、
一時はどうしてくれようと思いましたが、結局トークセッションは延期し、
私も皆さんと一緒に1日早く出ることに。
だけど仕事は抱えたまま。カタをつけてから出発のつもりだったのに
1日早まるんだもん。きーっ!
仕方ないので、例によってノートPCと資料を抱え、東京では皆さんと別行動。
ギリギリまで原稿を書き、出る直前に成田からメールで送って出発しました。
今年はノートPCもって行かないぞ!ってつもりだったのにな。
毎年恒例と化した南洋慰霊と交流の旅に出ました。
2011年は、台風の影響で1日早く出発し、東京で観光をするとのこと。
ま、まじ?ジュンク堂でのmomotoトークセッションもあったので、
一時はどうしてくれようと思いましたが、結局トークセッションは延期し、
私も皆さんと一緒に1日早く出ることに。
だけど仕事は抱えたまま。カタをつけてから出発のつもりだったのに
1日早まるんだもん。きーっ!
仕方ないので、例によってノートPCと資料を抱え、東京では皆さんと別行動。
ギリギリまで原稿を書き、出る直前に成田からメールで送って出発しました。
今年はノートPCもって行かないぞ!ってつもりだったのにな。
どうなるかと思ったけど、フタをあけてみたらそこそこの人数はいて、
まだまだこの旅をやめるわけにはいかないねぇと、
南洋群島帰還者会理事の皆さんと話をしました。
慰霊祭が始まる前、バンザイクリフ方面から来た、Born to be wildなご一行さま。
サイパンの田舎道を走るのは、気持ちいいだろうなー。
ところで私は南洋群島帰還者会のパシリ理事を拝命してますので、
慰霊祭の準備も当然お手伝いします。供物を並べたり、香炉の準備をしたり。
チヨ子さん&Mタンメー仕込みだからな~。
慰霊祭、スタート。
戦没者の皆さんに、黙祷。
サイパンもテニアンも、慰霊祭には地元の方々がご出席くださいます。
ありがたいことです。
ローカルの皆さんこそ、帝国主義と、帝国主義が引き起こした戦争の被害者なのに。
そういえばムニャさんの姿がなかったけど、お元気なんだろうか。
神父さんによるご祈祷。
前にもブログに書いたと思いますが、その昔(2006年の中国人らしき人による落書きよりずっと前)
わが「おきなわの塔」がイタズラされる事件がありました。
ローカルの皆さんは敬虔なクリスチャンが多く、
神父さんにご祈祷をお願いするようになってからは、
イタズラされることはなくなったそうですよ。
聖職者の地位がきちんとしている文化なんだね。
遺族会の方による追悼のことば。
県議会議長のことば。
…出発前、めっちゃ腹立つエピソードを聞いたんですが。
県の職員が、「もう南洋の慰霊祭は終わったんでしょ。新聞でそう報道されていた」という対応をしたそうです。
アホじゃなかろうか。
新聞で報道されたら、それがすべてか。
すばらしい思考停止だ。
それで給料がもらえる公務員がむしろうらやましい。
これまでのように大規模で公式な慰霊祭はやらない。
旅のタイトルも、これまでのようにチャーター便による「慰霊墓参の旅」ではなく、
「慰霊と交流の旅」に切り替える。
規模は小さくなってゆくだろうが、慰霊は続ける。
これが我々、南洋群島帰還者会の考え方であって、
誰も「もう慰霊祭はやりません。終了。」なんて言ってないけど。
現に、こうして2011年も行ってるし、2012年も計画中ですけど。
何より、地元の皆さんがこんなふうに手を合わせに来てくれるというのに、
「はい、おしまい」なんてありえない。
カストロさん♪ この人の話はまた別にゆっくりとね。
見よう見まねでお焼香をしてくれる、ミスなんとかの皆さん。
かわいらしい。沖縄組からすると、孫かひ孫の世代だ。
南洋話はまだまだつづく。
Posted by いのうえちず。 at 03:25│Comments(0)
│記憶の中のリトルオキナワ