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文筆家もしくは、がちまやバカライター。座右の銘「愛と誠と肝心(ちむぐくる)」を小脇に抱え、人生街道をフルスロットルで驀進中。
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2008年07月11日

33回忌のナゾ

南洋群島帰還者会が毎年発行している総会の資料というのがあります。
そこには、帰還者会の活動史を記した年表もある。

旧南洋群島で戦があったのは、1944年。沖縄戦の1年前です。
カウントすると、1976年が33回忌になる。

ご存知のように、沖縄では33回忌が終わると、
死んだ人は神様になるとされています。
法事とか、しなくてもいいといえば、しなくてもいい。
終わり焼香(ウワイスーコー)とか大焼香(ウフスーコー)って言葉もあるくらい。
33回忌は、とても大きな節目。だからとっても盛大なんだって。
死者すごろくなんかがあったら、「上がり」ですな。
  
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2008年06月21日

みたまに、まもられるはずよ。

本日、識名にある南洋群島帰還者会の慰霊碑の清掃を、
お手伝いしてきました。



慰霊祭に間に合うように行って、取材をするだけだったけど、
こうして清掃に参加して汗を流すと、
なんだか「わったー(ウチらの)慰霊碑!」って感じがします。
それに、慰霊祭を表面的に見ているだけでは実感できなかった、
役員の皆さんの思いを感じることができて、本当によかった。
  
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2008年06月19日

南洋コーヒー株式会社

『南興史』をチェックしたら、南洋コーヒーに関する記述を見つけたよ。
(以下、『南興史』より抜粋。

昭和18年6月21日
傍系南洋コーヒー株式会社から営業権の譲渡を受け、
サイパンにおけるコーヒー事業を直轄に移した。

 南洋コーヒー合資会社(後に株式会社に改組)は、拓殖移民の一翼を担って
 大正12年に発足し、サイパン島に初めてコーヒー園を拓いた。
 南興は昭和16年同社の株式を買収し、傍系に加えた後、
 昭和18年営業譲渡の手段により同社の事業を吸収した。
 なお、当時のサイパンコーヒーは品質的に好評であった。



大正12年といえば、サイパン製糖工場が竣工したものの、
オサゾウムシの被害が出て、にっちもさっちもいかなかった頃ですな。
そーか、南洋コーヒーが最終的には本社直轄事業になっていたとは知りませんでした。
  
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2008年06月09日

温度差

サイパン・テニアンのあちこちで、ローカルの人たちと軽くゆんたく(おしゃべり)する機会がある。
イミグレ、ホテルやお店はもちろん、島のいたるところで。

「ハーイ♪」
目があうと、ほほえんで自分から挨拶する。
むこうも「ハロー」とか「ハーイ」とか返す。
「Japan?」とか「Korea?」とか聞かれることもある。
(「Hawaii?」ってのもあったな。なんでワイハやねん。)

チーム南洋群島帰還者会と一緒のときは、
「We're from OKINAWA」と答える。

すると、反応が明らかに異なる。
「I'm from Japan」の時とは、温度差があるのだ。

  
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2008年06月04日

か、かんじわるっ!

サイパンで、ボランティアドライバーとの橋渡しをしました。
サイパン在住の日本人で、チーム沖縄をサポートしたいという人に、
ドライバーとしての労力をボランティアで提供してもらうという試みです。

万一の事故や保険などのことを考え、
ボランティアを依頼する人がレンタカーを借り、
ドライバーは本当にクルマを運転するだけです。

  
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2008年06月02日

南洋クッキング講座

はいたい。サイパンでもらってきたパンの実(breadfruit)を、
テニアン帰りのミツコさん・ヒサコさんと一緒に料理してみたよん。
テニアン帰り3世のTちゃんと、4人で挑戦。



まだ小ぶりなパンの実。旬は7月・8月だとかで、
熟したものはもっと大きく、表面ももっとデコボコしてます。

まずは半分にカット。
生のかぼちゃよりやわらかいけど、
おいもよりは硬い感じです。

実を見たミツコさんが、
「これはまだ熟んでないから、油で揚げたほうがおいしいはず」
とおっしゃるので、そうすることにしました。

田芋を揚げて、砂糖醤油にからめるアレに似たものを作ることに。
  
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2008年04月25日

業務連絡

ちえこちゃん、でーじ!
エレンがメインランドからグアム経由でサイパン&テニアンに来るって!!

私、こういう日程で動くけど、エレン今年は来ないの?
ってメールしたら、
「うわー、なんて魅力的な響き!ユタのKさんにまた会いたい。
チズ、サイパンのあと沖縄行くの?私も本当に沖縄に行きたいのよ
うーん、ちょっとアレンジしてみるわ。すぐメールするから待ってて!」
って、ばばばばっと大学側と交渉してアレンジしたらしい。
ここ数日のメールのやり取りでこれだよ。

くっくっく。本気じゃのう。

超たのしみ~!!!

  
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2008年04月16日

今日の電話

3ヶ月ぶりくらいかな。Mタンメーから電話がありました。
ゆっくり話すのは久しぶりです。

タンメーは、ある南洋帰りドキュメンタリーの取材&撮影を受け、
仕事の現場である某離島にも、その取材が同行したそうです。
「来るって言うからさ~」
と照れくさそうに、でもうれしそうに話してくださいました。

「いや~、精力的ですね~」
「おぉ、もう、しょぼくれておったらダメよ。おかげで若返ったよ」
「ははは」
「ちょうど製糖期だったからねぇ、本当はちずを連れて行きたかったんよ。
製糖工場の中を見たことないだろう?」
「はっ!ない!ないです!見たいっ!」
「シマはねぇ、昔のテニアンみたいだよ。いや本当に。
甘藷畑を見ておると懐かしくてねぇ、あれは見せたいなぁ。
よし、来年は一緒に行こう」
「お供しますっ!」
「テニアン帰りもおるからさ。また色々話を聞いたらいいよ」
  
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2008年03月10日

東京大空襲から63年目

服役中の囚人や、朝鮮半島から連れてこられた労働者の皆さん、
それから土木建築作業員の皆さん、島の小学生から大人までが総動員されて、
テニアンの飛行場ができました。

一つじゃ足りないという判断で、第二飛行場、第三飛行場の計画が進み、
実際には飛行場を作る作業中に、海軍の飛行機は失われていったにもかかわらず、
計画が止まることはありませんでした。
小学生はサンゴでできた石灰岩を細かく砕き、現場まで運びました。
南洋興発の専修学校を出たばかりの青年たちは、現場監督として派遣されました。
大した重機もなく、ほぼ人海戦術の急ピッチで進められた工事でしたが、
結局、完成間近の第二・第三の飛行場は空襲でボコボコにされ、
残っていたわずかな飛行機も破壊され、
みんなが作った滑走路から、日の丸をつけた飛行機が飛びたつことはありませんでした。

沖縄でも、結局使われなかったのに急ピッチで飛行場作ったりしてたよね。
  
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2008年03月10日

丸木俊さん

原爆の図、沖縄戦の図で知られる丸木位里・俊さんコンビ。あ、ご夫妻。

奥様の俊さんはね、結婚する前は南洋にいたんだって。
知らなか~ったよう♪
パラオ時代に培った画風は、原爆で吹き飛んだらしいよ。
強烈な体験だったんだろうね。

ぬう。南洋で描いた絵が見たいなぁ。  
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2007年12月27日

軍の関与

サイパンでは、日本軍が民間人に、竹やりを配ったそうです。

「もしものときは、これで自決しなさいって、配ってるのを見ましたよ」

配った軍人にしろ、受け取った民間人にしろ、
それが当然のことで、ある意味、思いやりの行為でもあったかもしれません。
敵に辱めを受けるより、敵に殺されるより、
自分の手で殺めたほうがその人のためになると信じていれば、
(あるいは信じ込まされていれば)、そうせざるを得ないから。
竹やりを配ったのは、民間人に配る手榴弾の余裕がなかったのかもしれません。

…竹やりで自殺って、痛そう。
っつか、自分ではムリだから、要は家族を殺せってことだよね。

…。

「つくる会」のフィールド調査って、どうなってんだろ。
ま、私が聞いたのはサイパンの話で、沖縄の話じゃないけどよ。  
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2007年10月20日

サイパンの車窓から その2

たら~ら~ら~らら~らら~ら~り~ らりらり♪(あのテーマ曲)

サイパンの車窓から
今日は、北村からお届けします。



場所は、サイパン最北のリゾートホテル、マリアナリゾート&スパです。
リーフサイド前のブッシュをずんずんと海側へ進み、
ビーチ沿いの、岩場の中にありました。

軽便鉄道のレールです。



  
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2007年10月14日

南興会07

昨日は、上野某老舗レストランにて、
南洋興発OBおよび関係者の集いである
南興会が開かれました。
全国から集まる、おじい、おばあ、おじい、おばあ。



乾杯の図。約70名が集まったそうです。  
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2007年10月11日

サイパンの車窓から

♪たら~ら~ら~ら~ら~らら~ らら~ らりらり~(あのテーマ曲)

世界の車窓から 今日はサイパンからお届けします。(嘘)





  
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2007年10月05日

Special Gift その4

壕から出て、クルマに戻ると、虹が出ていました。



このタイミングでヨネコさんに出会えたことも、何かのご縁なら、
こうして虹を見ることができるのも、何かのお導きだな~。
そう思って、しみじみと見上げました。

「取材根性が通じたんだよ」
とマリ君が言った。  
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2007年10月05日

Special Gift  その3

昨日、NHKでマリアナ沖海戦の番組をやってて思い出したというわけでもありませんが。
もう4ヶ月も前の話になっちゃったのね、びっくり!と思いつつ、
前回のサイパンでの話の続きを書きます。
マリ君やKさんのおかげで、ほんとにいろんな戦跡を見ることができて、
非常に勉強になりました。

もちろん、この壕に関しては、ヨネコさんのおかげです。
(前回のお話はこちら
前回は、民家の庭にあったコンクリートの構築物のところまで話をしたので、
今回は、その続きね。

そして私たちは、ずんずんと山のほうへ進みました。



私有地とはいえ、こんなふうに整地されてるのは一部で、
目的の司令部壕は、ジャングル状態な山の中にあります。
一応、獣道みたく、道はあるんだ。
こどもの頃は山ん中でよく遊んでいたので、不得意ではない。

  
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2007年08月29日

Special Gift その2

話が前後して申し訳ない。久しぶりにサイパンの話です。
(前回のストーリーはこちら

ヨネコさんは「いいわよ、案内するわ。でも懐中電灯持ってる?」
「持ってます!」
キラーンと目を輝かせる私。
実は、こんなこともあろうかと、出発前日に渋谷ドンキで頭につけるタイプの懐中電灯と、
手に持つ蛍光灯タイプの懐中電灯(5月に沖縄でガマに入った時、沖縄平和ネットワークのKさんが使っていた、広範囲を照らすタイプのものがとても便利だったので、さすが!とマネした)
そして、慰霊のためのお米とシマ(泡盛)を持っていたのです。

私はタバコを吸わないし、ライターは機内に持ち込めないし。
お線香は持ってなかった。
でもマリ君はちゃんとお線香を用意してた。(これまたさすが!)
っつか、この慰霊慣れしたセットがデフォルトっつうのは、マリ君も私もおかしいだろ!

お線香、水、シマ、お米、そして懐中電灯。
よっしゃ、これで行けます!

ヨネコさんは、広いお庭でバレーボールに興じていた、お向かいのおうちの人々に声をかけ、
「ちょっと見せてね~」ってな感じで、スタスタと歩いて行きました。
敷地に入ってすぐ、右手にこんなものがあった。



  
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2007年08月10日

Special Gift その1

サイパンでのこと。

その日、マリ君とサイパンじゅうを走り回って、いろんな戦跡を見た。
一番最初にサイパンに来た時に、家族で泊まったリゾートホテル。
あの時、こどもたちと遊んだビーチの北側に、
軽便鉄道のレールが残っていたのはプチ衝撃だった。
そんなこと、何も知らないで遊んでいたのに。
2度目のサイパンから始まった沖縄への旅。
こうしてサイパンに戻って、この島が全然違った島に見えてきて。
今回の滞在もまた、感慨深いものになった。

ところで、サイパンでは、通りという通りに名前をつけることになりまして、
地区によって「歴史にちなんだ名前」「花の名前」「島の名前」といった具合に
名前がつけられています。そのうちの一つに、なんと「オキナワ通り」っつうのがあるんですね。

  
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2007年07月28日

グランドホテルの鎮魂碑

戦跡めぐりというと、ちょっと私のテーマとはズレちゃう気もしますが、
でも南洋での日本人の生活は、戦争という悲惨な結末で終止符が打たれていますから、
そりゃ避けて通るわけにはいかない。核心とは思わないが、非常にニアです。

サイパンに、グランドホテルというのがありましてね。
そこにこんな慰霊碑があるとは知りませんでした。



食事に行ったりしたんだけどな、なんで全然わかんなかったんだろ。
それほど、観光客の目はフシアナってことかしら。  
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2007年07月28日

南郷神社



サイパンです。

Kannat TablaカナタブラのKannat Tabla Dr.カナタブラドライブを山のほうに進み、
United Church of Christ Pohnpei Saipan右手に過ぎた先の二股を右。
元々はリゾートホテルっつか、コテージっつか、そういうものとして開発されたところが、
今は住宅になっててローカルが住んでます。
緑が多くて、とってもステキな雰囲気。

その奥のほうに、ここがあります。
敷地に入って、奥のほうへ進み、左手にカーブしたどん詰まり。

右手のブッシュが南郷神社の跡地。
知ってる人と行かなくては、わけわかんない場所ですわ。
黒木大隊のモニュメント(砲身と慰霊碑がある)からクルマで2~3分。
ここで同隊の戦闘指揮がとられていたのだとか。  
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