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文筆家もしくは、がちまやバカライター。座右の銘「愛と誠と肝心(ちむぐくる)」を小脇に抱え、人生街道をフルスロットルで驀進中。
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2011年06月06日

旧南洋群島 慰霊と交流の旅

今年も行って参りました。サイパン&テニアン、慰霊と交流の旅。
ひとまず旅の内容をダイジェスト版にて、ご紹介。

5月28日(土) 台風の影響で1日前倒ししての東京入り。
久しぶりの東京は、人が多い!
20年暮らした街なのに、すっかりおのぼりさんですわ。
夜は、何年ぶりかで旧友と軽く飲んできました。

5月29日(日) 16:30に成田入り。
チェックイン後、カード会社のラウンジからメールを送って、
ビジネスセンターで英語の名刺をスピード印刷。成田空港、便利だな〜。
デルタ航空にてサイパンへ。深夜の到着は、やっぱ疲れる。。。
今回のルームメイトは、ペルー在住のチエコさん。
彼女の話は次号momotoでしっかり書きますよ~。乞う、ご期待。
5月30日(月) 先発隊は9:30にホテルを出ます。
慰霊祭は11:00~。
供花の札をさして、テーブルにはお供え物を。。。
「供物は、ウチの巫女いのうえちずが並べますので」と事務局長。
ええ、チヨ子仕込みですから、お任せください。そりゃもう真心で(笑)。

お昼は、サイパン在住ウチナーンチュのしまぶくーちゃんお手製のおにぎり。
お供え用に作ってくれたものを、ウサンデーしてきたのだ。
レンタカーの手続きをして、帰還者会理事用ユニフォームの発注に行って、
それからCさん親子の屋敷跡探し。
これが想定よりスムーズに見つかり、また今年も「お導き」を感じたわ~。
そして、亡くなった妹さんの魂を、沖縄へ連れ帰るべくヌジファ。
さらに、海に遺体を投げられたという、お父さんのヌジファ。
くわしくは別記事にてアップします。

夜は交流会。カストロさんちでホームパーティ。
去年もそうだったけど、カストロさんとアニーさんの、心づくしのおもてなしに感動したわ。


5月31日(火) テニアンの慰霊祭。
先発隊の出発に合わせて、なんと7時前におにぎりを持ってきてくれたしまぶくーちゃん。
感謝、感謝です。8時には飛行機に乗り、テニアンへ。
レンタカーを借りて、メイヤーズオフィスへ向かいました。
テニアン市長のデラクルスさんは、ご存知の通り、
普天間基地をテニアンに誘致してもいいよと発言している人。
この話はまた別記事でアップしますが、いろいろ考えると、非常にフクザツな心境です。

メイヤーズオフィスでは事務方チーフのアレンさんにも会って話をしました。

それから慰霊祭会場へ。慰霊祭の準備をして、確か11:30を過ぎてから慰霊祭開始。
片付け後はいったんホテルへ。チェックインをして、午後からは島内をウロウロ。

夜はメイヤー主催の交流パーティ。
沖縄テニアン会側には、浦添市長の儀間さんがいます。
メイヤー同士でゆんたくに花が咲き、
「メイヤー・ギマ、明朝メイヤーズオフィスでコーヒーブレイクしないか?」とのお誘いが。
わしのほうは、MVAのヴィーダさんと話をして、かなり面白いことになってきた。


6月1日(水) テニアンにもう一泊。
朝はメイヤーたちのコーヒーブレイクに同席。
ここでカメラマンSさんが単独インタビューをした。
非常に興味深い内容だったけれど、
これがニュース素材としてちゃんと使えるインタビューなのか、
情報を発信する仕事をしているわしとしてはノーコメントだな。

いったんホテルに戻り、また島内をウロウロ。
タガ遺跡(昔は島民墓と言った)のところで、Mさん親子に遭遇。
午後から同行して、Mさんが戦時中にケガをした場所や、チューロキャンプなどへ行くことに。
結局、カロリナス上段、住吉神社、マルポ、
日之出神社、羅宗グスク(嘘)、チューロキャンプと回りました。
夜はガンさんの店で宴会。
わしは一足先にホテルに戻って、長女の作文を手伝った。電話代がコワいわ。まじで。

6月2日(木)
今回のミッションの一つである、チャーターフライト。
結局、2泊3日の滞在中一番いいコンディションで撮影できて、良かったです。
サイパンのスーサイドクリフは、空から見ると本当に激しい断崖絶壁。
地上で見るのとは違う感覚で、立体的に捉えることができ、勉強になりました。

午後、サイパンへ戻り、友人のケンジくん、マリくんと再会。
ちょうど夕方の上映に間に合うということで、なんとわしは「オオバ ザ・ラストラムライ」を観てきた。
5ドル何十セントだったからいいけど、日本で1800円払ってたら発狂してたな。きっと。

そうだ。ホテルのショップで、マリアナズ・コーヒーの社長チャックさんと偶然バッタリ。
戦前のコーヒーの話で盛り上がる。地図を見ながら二人ともエキサイトして何度もハグ。
おかしいだろ。わしもヘンなテンションだったなー。
日本統治時代の研究をしている娘さんが夏に沖縄へ来るというので、これまた楽しみです。

夜はサイパンの日本人会の方々と、帰還者会メンバーとの会食。
フィエスタのK社長には特別なご配慮をいただき、感謝です。
帰り、会長・事務局長とホロホロしながら、奉安殿の現状確認をしてホテルに戻りました。

そして夜中の3時にモーニングコール。4時にはホテルを出発し、空港へ。
成田→羽田とバスで移動。那覇に着いた時はくたびれ果てました。




昨日は、早速、入院中のMタンメーの顔を見に行ってきました。
わったーテニアン会会長、宜野座朝美さんの発案で、
サイパンにもテニアンにも、ウチナーンチュのこしらえたおにぎりをお供えしてきましたよと言うと、
涙を流して、「ありがとう、ありがとう」と何度もおっしゃってました。

「そうだ、みんな、メシを食いたいと言って死んだんだから。
そりゃいいことをしてもらったね。
オレは今まで、何度もテニアンへ行ったのに、気づかんかったよ。
世代交代をして、良かったさ。古い人間はね、ダメなんだ、発想が固まってしまっておる。
若い人の発想で、どんどん新しいことをしたらいいよ」

わしもウルウルしたわ。Mタンメーの発想が固まってるなんてことないよ。
現に、わし、柔軟に受け入れてもらってるもん。
時々、先輩たちのアドバイスをもらいながら、見守られて活動ができるというのは、
非常にありがたいことなんですよ。

友人のしまぶくーは、「あんなおにぎりで良かったかねー?」と言うが、
現場で見た人たちは「これは上等。ありがたいねぇ。ウチナーンチュが作った?いっぺー上等!」と言ったし、
行けなかった人たちも、とっても感謝していたよ。

旅のダイジェストは、ひとまずこのへんで。


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Posted by いのうえちず。 at 03:41│Comments(4)記憶の中のリトルオキナワ
この記事へのコメント
横須賀の料亭「小松」とか
「魚勝」の支店があった場所って
分かるのかなぁ~。

因みに、海軍さんは前者を「パイン」
後者を「フィッシュ」って呼んでいたみたい。

「小松」本店は現在も営業中、
海軍高官の書や柱の刀傷も
多数、大広間にあるらしい。

         (つのい いちろう)
Posted by 角井 一郎 at 2011年06月08日 09:07
支店はパラオではなく、サイパンですか?
だったらガラパンの地図を見れば、わかると思います。
今そんなことをしている時間が皆無なのでおつきあいできないですが、
momotoの校了後ならなんとか!
Posted by ちず at 2011年06月09日 17:43
それまでに・・・
当方もリサーチしときますね。

        (つのい いちろう)
Posted by 角井 一郎 at 2011年06月11日 03:08
はーい。
Posted by ちず at 2011年06月14日 11:32
 
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