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文筆家もしくは、がちまやバカライター。座右の銘「愛と誠と肝心(ちむぐくる)」を小脇に抱え、人生街道をフルスロットルで驀進中。
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2016年05月01日

宮良瑛子展 いのち Life-Solo Exhibition Eiko Miyara

宮良瑛子展 いのち Life-Solo Exhibition Eiko Miyara

県立博物館・美術館で開催されている「宮良瑛子展 いのち」を見て来ました。

ものすごく個人的な感想から。
まず、「水底のうた―沖縄県戦時船舶遭難の碑―」が最初にあったことで感激。

湖南丸、対馬丸、嘉義丸など、戦時中に沈められた疎開船の行方不明者・死没者を悼んでつくられた、瑛子先生渾身のブロンズ像です。対馬丸の慰霊碑である小桜の塔のところにある「海鳴りの像」と同じシリーズとも言える。(首里公民館ロビーでも海鳴りの像が見られますよ)

「水底のうた」は鹿児島県指宿市山川の、海が見える高台に設置されています。3年前に山川へ取材に行った時、遠くから見ても一目で「瑛子先生の作だ!」ってわかった。クルマから下りて、走って像のところへ行くと、やっぱりそうだった。あの時は「水底のうた」が山川にあるって全然知らなかったので、そりゃもう感激しました。すぐ瑛子先生に電話したもんね。なつかしやー。

那覇を出て、鹿児島をめざす途中で海に沈んだ子どもたち、引率の先生、お母さんたちを含む民間人。その出発地である那覇と、目的地だった鹿児島の両方に瑛子先生の彫刻があるということになります。

ちょっとネタばれっぽいけど、「水底のうた」の詩が壁に書かれていたのも良かった~!キュレーションの真骨頂だわ。本当にいい仕事!(ウルウルしてアイラインが流れたのはプチ迷惑だったけどさ)

「除幕式であいさつをするのに、通り一遍のことを言うのもねぇ。だって私、遺族でもないのに。それで、除幕式前夜に、宿でこの詩を書いたのよ。それを朗読したの。今回、この展示のために、こーんなに(両手を50㌢ぐらい広げる)資料を渡したんだけど、学芸員ってすごいわね、あれを全部読んでくれたのね。この詩なんか、資料が1枚あったかどうかってぐらいよ。最初、ここには年表って聞いていたんだけど、来てみたらこの詩になっていて、私もビックリしたのよ」

と瑛子先生はおっしゃってました。
展示は時系列になっていて、非常にわかりやすい。
そのまま、復帰直前から現在の沖縄という、沖縄の現代史と重なります。

瑛子先生は福岡県の出身で、武蔵野美術大学に在学中、
宮良作先生と知り合って(たぶん大恋愛の末w)卒業と同時に結婚されました。

ところが作先生はバリバリの共産党で、南灯寮(沖縄出身者のための学生寮)のあった狛江の町議(狛江市になる前ね)。そもそも、戦後、本土に「密航」で渡って東京の大学に進学したのでパスポート(よくパスポートと言いますが、沖縄→日本へ渡航する場合は琉球列島米国民政府=アメリカの出先機関発行の「日本渡航証明書」が必要でした。沖縄→海外の場合は「身分証明書(旅券に代わり発行)」が発行されたわけです。ちとややこしい)も持っておらず、さらにレッドパージの激しい時代に学生運動なんかしちゃって、さらには共産党から町議になったもんだから、学生時代からアメリカ政府に目をつけられ、「沖縄に帰りたいです」と申請しても渡航許可が下りなかった。※このくだりは、モモト10号復帰特集で詳しく書いてます※

結局、復帰が決まってから、やっと沖縄に帰れることになったのですが。瑛子先生が初めて沖縄の地を踏んだのが1969年のこと。話に聞いてはいたけれど、実際に目にする沖縄には衝撃を受けたと茶飲み話におっしゃっていました。壺屋や牧志のマチグヮー、農連市場で目にする女性たちは皆たくましく、けれど背後に必ずと言っていいほど戦争の悲劇を抱えていた。それで力強い沖縄の女たちを描いたアンマーシリーズが生まれたわけですな。

家族で沖縄に移り住んだのが1971年。久手堅憲男さんたちの世話で首里久場川に居を構えました。沖縄の復帰は1972年の5月15日。

「あの日は雨でね」

当日、瑛子先生は早朝から農連市場にいたそうです。トタン屋根を打つ雨の音、特別な日を迎えた沖縄の、いつもと変わらぬ日常の暮らし。「アンマーの宮良瑛子」らしいお話です。※この話、あまりに印象深かったのでモモト10号に書いてます※

沖縄戦、ベトナム戦争に揺れる沖縄、基地問題…さまざまなテーマで描かれた大作の数々。「赤」の使い方がとても印象的で、それは炎のようにも、血のようにも見えてきます。地の底から、こちら側・絵を見ている自分のあり方を見据えられているような気がしてくる「まなざし力」に圧倒されます。絵を見ているのは自分なのに、絵から自分が見られているような気がしてくるという。

瑛子先生ご本人はとってもやさしい雰囲気で、「絵描きはビンボー」「私の絵は売れない」など、こちらの笑いをクスッと誘う口調なんですがね。そのやさしい雰囲気とは違って、とても鋭く、「描くもの」の本質を見ようとする「まなざし力」を持っていらっしゃるのだと思うのです。描き手の「まなざし力」がなければ、あんな「まなざし力」が絵に映し出されるはずがない。このギャップが凄まじい(笑)。

私が好きなのは「無辜」シリーズ。沖縄、韓国、漠然と中東、さまざまな地域の人々が描かれています。それが不思議な普遍性を帯びており、チャドルをまとった女たちの嘆きを描いているようで、その嘆きはガマの底にいた女たちの嘆きと重なって見えてくる。人間の本質を見ようとして出てくる表現だからだろうか。

表現手法としても、油が基本だけど、彫刻があったり、水彩もあったり。忘れな石と湖南丸の絵本の原画はとても興味深かった。水彩は筆遣いに迷いが許されないから、なんというか、筆致のイキオイがストレートに伝わってくる感じね。

こんなにステキな先輩とのゆんたくが誇らしく、そしてうれしくなる展示でした。生きてる人の個展を、こんなに長くやることって珍しくない?それだけでもなぜか私まで鼻高々です。入場料310円は絶対オトクよ。


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Posted by いのうえちず。 at 15:32│Comments(0)沖縄
 
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