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文筆家もしくは、がちまやバカライター。座右の銘「愛と誠と肝心(ちむぐくる)」を小脇に抱え、人生街道をフルスロットルで驀進中。
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2008年08月06日

校歌を探せ!続報

コロムビアレコードから連絡あり!

内容からして、多分、委託制作だろうと思われ、
委託制作の場合は音源は残っていない可能性が濃厚とのこと。
引き続き、その辺りの事情に詳しい人に聞いたりして、
調査をします、とのことでした。

ほうほう。迅速で丁寧なご対応だなぁ。


ただ…もし当時の音源があっても…  
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Posted by いのうえちず。 at 23:11Comments(0)TrackBack(0)沖縄からテニアンへ

2008年08月06日

校歌を探せ!

テニアンにあった、南洋興発株式会社附属専習学校。
昭和13年開校で、19年の地上戦で消えてしまった、
6年ポッキリの幻の専門学校です。

その校歌を、軍歌の名バリトン、伊藤久男さんが吹き込んでいたらしい。
うっきー!伊藤久男といえば、アーーーーホイヤーーーー♪イヨマンテーーー!

…すみません、変なテンションで。

  
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2008年07月30日

カウントダウン・ヒロシマ

今、読んでいる本がこれ。



ヒロシマに落とされた原爆をめぐるドキュメンタリーです。

  
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2008年07月18日

取材メモ

資料の整理をしていたら、電話しながらとったメモが出てきた。
自分用に記録。

  
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2008年07月03日

サザンクロス

テニアンには無水アルコールを作る工場がありました。
よく文献にも出てくる酒精工場です。

主に燃料にするんだけど、と聞き、
64~65年前、すでにバイオエタノール構想があったとは!
とちょっとびびった。サトウキビから作るわけだし。

だけど、戦争で石油が絶たれたら、そりゃエコにもなるわい、と。
松ヤニもどうにかして燃料にしようとしてたっていうし。

で、燃料の他に作っていたのが合成酒。ラム酒も作ってんだって。
よく、第一航空艦隊の生き残りの書いた戦記に出てくる、テニアンのラム酒。

ロタにも酒精工場があった。ロタで作られていたのは「南の誉」
テニアンのラムは「サザンクロス」という銘柄だそうです。

サザンクロスかぁ…敵性言語って言われないのかなぁ。
内地とはちょびっと感覚も違ったんだろうか。

「サザンクロス?おいしかったよ」
と、Mタンメーは言う。

今年は雲があって、テニアンから南十字星は見えなかったけど、
来年は南十字星が見えるといいなぁ。
  
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2008年06月11日

業務連絡>ちえこちゃん

宜野座会長のご家族が自決された場所の、奥のほうに行ったじゃん?
そしたら、なんか屋根を葺いたような跡があったじゃん?

日本兵の見張り小屋かね?って言ってたの覚えてる?

あれ、儀間比呂志先生が弟子入りしてた、
杉浦佐助先生のアトリエ(小屋だけど)だったよ!
去年、儀間先生に同行したドキュメンタリー映像ディレクターOさんに聞いた。

そうだったんだ!って謎が解けたよ~。
  
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2008年05月31日

日の出神社2008

とても懐かしい場所に戻ってきた気持ちになる、テニアン日の出神社。
最初に来た時から、ここが大好きだった。
今年も戻って来ることができましたよ。シマの神様に感謝。



本殿の周囲では、たくさんの蝶たちが出迎えてくれた。
ありがとう。ただいま。

  
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2007年11月03日

ティベッツ死去

11月1日にポール・ティベッツが死んだそうですな。

http://www.yomiuri.co.jp/national/obit/news/20071101zz22.htm

92歳って!@_@;

ティベッツは、広島に原爆を落としたエノラ・ゲイの機長でした。
テニアンに、原爆を搭載しに来たパイロットです。
戦後は「俺が何万人ものアメリカ人の命を救った」と英雄気取りで、
同じ太平洋戦争を戦ったベテランズの評判は悪かったそうですね。
  
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2007年10月17日

「集団自決」なのに

わったーボス宜野座会長(南洋群島帰還者会・沖縄テニアン会)が、
戦没者遺族を対象とした年金の話を教えてくれました。

会長のお父さんは、テニアンで土建屋さんを営んでいました。
アメリカーが上陸してきて、民間人は島の南部カロリナスへと追い詰められ、
ガマに隠れる中、自分の命を断つ人も次々とあらわれました。
首つり、手榴弾による自殺、家族を殺す人、兵隊に殺してくれと頼む人、海に身を投げる人。
会長のお父さんは仕事で使うダイナマイトを持っていましたから、
カロリナスの一角で、2家族が一緒にダイナマイトを囲み、いわゆる「集団自決」をしたのです。
  
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2007年10月02日

暗黙の了解

沖縄戦の1年前、テニアンでも「自決」や「集団自決」がありました。

まず、ここで戦争体験のない私たちが確認しておかねばならないのは、
地上戦が行われている最中、それも負け戦(または不利な状況)という状態では、
たくさんの出来事が、一度に、いろいろな場所で起きていて、
しかもそれが、動いているということです。
どの時点で何が起きているか、正確に把握していたのはアメリカ側で、
戦況が逼迫してきた日本側では、組織だった軍の中ですら、情報は錯綜します。
命令系統もなく、ひたすら口コミで動く民間人の間でなら、なおさら情報は錯綜します。
司令官が「オレは死ぬけど、貴様らは悠久の大義に生きてくりたまい」と腹を切ろうが、
それを合図に「はい、ここまで!戦闘はやめやめ、おしまーい」と、
みんなが一斉に戦争から解放されるわけではない。

  
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2007年09月04日

沖縄テニアン会

9月1日は、沖縄テニアン会でした。

「いつまでも白髪頭が受付をするのもねぇ」
と、ヒサコさんは言う。
「若い世代に引き継がないといけないわねぇ」
と、ミツコさんも言う。共に、80歳の受付嬢。
「私、手伝いますよ」
と申し出たら、
「あら、そう?じゃ12時に来てね」
  
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2007年09月03日

鳥肌つづき

むふふふふふ。
見つけた♪ 出逢えた♪
テニアンを書く上で、キーパーソンになる人を。

まだブログには詳しく書けないけどさ。
やるべきこと、行くべき場所がハッキリ見えてきたよ。

むふふふふふふふふふふふ。
アメリカ本土にも行かなくては。
英語の勉強が本当に必要になってきた。  
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2007年08月06日

今日は8月6日です。

今日は、テニアンから飛び立ったエノラ・ゲイが、広島へ原爆を投下した日です。

広島生まれの私は、原爆投下の時刻は、8時15分だとずっと思ってきた。
でも、アメリカ側の記録では8時14分が多いんだよね。

このタイムラグは、上空から見た主観と、
地上から見た主観の違いを物語ります。  
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2007年08月02日

もーあしびー@テニアン

全国500万人(大嘘)の裏ナビファンの皆さま、お待たせしました。
久しぶりの更新で、恐縮です。

さて、2007年5月31日の話。

テニアンで、うちなーんちゅと、ローカルの人々との懇親会が開かれました。
テニアンでの懇親会は、市民の人々が持ち寄ったお料理で、
ビールやシマ(泡盛)を飲みます。
懇親会の模様はまた今度として、今日の話題はコレ。


  
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2007年07月24日

羅宗神社

ラッソー山にある神社だから、これでラソージンジャと読むわけさ。
当て字だね。



沖縄組が来る前に、ブッシュカッターが多少は切り開いてくれてたのかな。
それにしても草ぼーぼーです。  
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2007年07月24日

キングフィッシャー

テニアンの羅宗神社にいたら、
すぐ近くまでキングフィッシャーが来ました。



とってもきれいな鳥です。

  
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2007年07月20日

日の出神社2007

一眼レフで撮った南洋の写真データを、
やっとメインPCに移植したので、
今日からボチボチUPします。

まずはこれ。今年の日の出神社。



抜けるような青空に、南洋桜。ほれぼれします。
  
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2007年07月09日

テニアン探検隊

CNMI滞在の前半、沖縄組と一緒のときは、私はMタンメーお抱えの運転手。
サイパンでは初めて南洋に来た、2世・3世を案内し、
テニアンでも現地係員かというくらい(笑)。
いつも、とっても良くしてもらってるから、こういう時にお返ししないと。



沖縄組とここに行った時は、初めてここに来た時とはまた全然ちがう感慨がありました。
ここは、チューロ駐在所跡。弾丸の跡が残ってるのが見えるかな。
戦前からの建造物で、戦後も取り壊されず、今もジャングルの中にたたずんだままです。
テニアン戦のとき、最初は北部のハゴイに民間人収容キャンプが作られましたが、
やがて中部のチューロへ移動。
米軍が空撮した、キャンプ全体が移っている写真に、このアーチが写っています。
キャンプのど真ん中に、コレがあったんだね。
今、チューロキャンプの痕跡を探すのは困難ですが、これが一番わかりやすい目印になっています。
空撮写真を見ながら、「じゃあこっちの方向がテニアンスクール?」「あっちはコリアキャンプ?」
といった具合に、ジャングルを見渡すのです。  
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2007年05月06日

テニアンつながり

今回、取材先で意外な人がテニアンとつながっていて、びっくりしました。

その中の一人が、版画家の儀間比呂志さん。
テニアン育ちなんだって。
しかも、驚いたことに、当時、カロリナスに住んでいた著名な画家(これが誰かは次回の南洋までのお楽しみだ)に弟子入りして、絵を習っていたらしいよ。

えー、カロリナスにそんな芸術家が住んでたの?!
というのにも驚いたが、
もしかして儀間さんの作風の根底には、テニアンがあるの鴨!?
ということには相当ワクワクしました。

むふ。こりゃあ取材が楽しみだわい♪  
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2007年05月01日

テニアンで会いましょう

昨日、テニアンにあったカーヒー小学校の同窓会「カーヒー会」の役員の方にお電話をしました。
元々は八丈島からの移民で、今は都内にお住まいです。
実は去年、カーヒー会にお邪魔したときに
「来年は沖縄組が行く時、一緒にテニアンに行って同窓会をやろう」
という話が出ていたんです。
「我々も、行ける間に行っておきたい」という主旨でした。

内地から直行便がいいか、沖縄へ飛んでみんなと行くのがいいか。
結局、成田から直行便のほうが安いし、ラクだからということに。  
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