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文筆家もしくは、がちまやバカライター。座右の銘「愛と誠と肝心(ちむぐくる)」を小脇に抱え、人生街道をフルスロットルで驀進中。
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2009年06月02日

チャーターだから。

チャーターだから、慰霊祭グッズも積み放題。
去年はバカでかいセントレアで苦労しましたが、
今年は那覇空港までクルマで乗り付けるだけ。
ほんと、ラクちんです。

チャーターだから、飛行機っていうよりバス旅行みたい。
みんな、いろんな人といろんな話をするために、
あっちの席からこっちの席へ、どんどん移動します。
これが、なんつーか。合コン状態なわけです(笑)。

実は私、南洋群島帰還者会を追いかけて
サイパンへ行くのは4回目ですが、
実は、初回・2回目とも成田から合流。
3回目は定期便利用で、
今年が多分、最初で最後のチャーター体験なわけです。
去年、あーあ、とうとうチャーターには間に合わなかったなぁと、
非常に残念に思っていたので、
今年、チャーターが決まったときは本当にうれしかったなぁ。

そっか。あの衝撃的な南洋取材デビューから、もう3年も経つんだな。
はるか昔のできごとのようですが。
さて、機内では、香典袋も配ります。
初めてこの慰霊墓参団ツアーに参加する人には、
「なんで慰霊祭で香典?」と疑問に思う人も多いので、
配りながら説明もします。

南洋群島帰還者会では、会費を徴収していません。
ですが、サイパン、テニアン、ロタ、パラオ、識名には慰霊碑があります。
この慰霊碑の維持管理費は、皆さんの寄付金で賄っています。
特に、南洋にある慰霊碑は、
現地政府や市役所に管理を委託していますから、
それなりにお金がかかるんです。
慰霊祭に出席される皆さんには、香典というカタチでご寄付をお願いしています。
日本円では2000円以上、米ドルでは20ドル以上で、ご協力をお願いします。
テニアンに行かれる方は、サイパンのおきなわの塔と、
テニアンの沖縄の塔と、テニアンの専習学校慰霊碑の三箇所へお願いしています。


と言って、機内を回るわけです。
チヨ子さんが一人でやるのは気の毒なので、私もTちゃんも手伝います。
手伝いましょうか?と声をかけてくれる方もいましたが、
質問を受けたとき、上記のような説明ができる方、
さらにつっこんだ質問が出た時にも対応できる方でないと、
ちょっと香典袋を配るのは難しいかと思います。

「専習学校の慰霊碑?うちは関係ないのに」
という方も実際いるわけです。
このツアー代金は、テニアンに行くオプションも含めると20万円。
そこへ、計6000円も徴収って言われると、ムッとする人もいるわけですね。

「テニアンには、南洋興発の作った南洋一の製糖工場がありましたでしょう?
松江春次社長は、教育にとてもチカラを入れた方でしたから、
幹部候補生を教育するために、テニアンに専習学校という、今でいう専門学校を作られたんですよ。
戦争中、この専習学校の卒業生や、在校生も、軍に協力して、
大勢戦死したんですね。沖縄で言う、鉄血勤皇隊みたいなものです。
その人たちの慰霊碑が、テニアンの沖縄の塔の隣にあるんですよ。
テニアンでの慰霊祭の後、引き続いて、専習学校の慰霊祭もやります。
もちろん、お気持ちですから、強制ではありません。
専習学校のほうのお香典は、お気持ちで結構ですよ」


ここまで説明しますが、
「ああ、そうか。じゃあ私も」と、理解してくださる方と、
「でも関係ないから払わないよ」という方に分かれますねぇ。
ま、それはそれで仕方ないことだからな。

チヨ子さんには
「一律2000円以上、テニアンに行く人は3ケ所必ず!って言ってるのに!」
と、叱られるかもしれないけど、
臨機応変な対応も必要だと思うんだけどな。
あからさまに「香典?なんで私が出すの?」って反応の人、
結構いるもんね。ちょっと悲しくなりますが。
それを「あなたがたは何も知らない」と叱り飛ばして
「そういう決まりだから」とつっぱねるのもねぇ。

ちなみに、慰霊祭そのものにも、結構費用がかかるんだよね。
慰霊碑の周囲にテントをはる、イスを並べる、水やヤシの実を用意する、
ホテルから慰霊碑までバスを使う、お供え物を用意する…
共催である遺族会からも少しお金は出ますが、とてもじゃないが全額は賄えない。
まあ共催だからそれでいいんだけどね。

ちなみに私、遺族会にお金が集まる仕組みを、
恥ずかしながらこの前初めて知りました。
遺族年金からの天引きなんだって。なるほど、そりゃ自動的に集まるよね。
しかも、遺族会が遺族年金を取り仕切れるのは、財団法人だから。
南洋群島帰還者会は、財団法人ではないため、
遺族年金を取り仕切ることはできないんですね。遺族団体じゃないんだもん。
南洋で軍事動員や軍属として家族が亡くなったと認定された人は
遺族年金をもらえるわけですが、そりは遺族会経由での受け取りになるんだな。

まあ、遺族年金といっても、子どもは成人するともらえなくなるし(18歳までだっけ?)、
戦後20年も経てば、遺族年金イコール戦争未亡人が受け取る年金を指すわけですが、
戦争未亡人もねぇ、高齢化が進んで、皆さん80歳以上でしょう?
そりゃ遺族会も収入が目減りする一方ですわな。

年金からの天引きができなくなったら、遺族会をどう維持するかって問題も出てくるでしょうね。

おっと、話がそれちまったい。



話は南洋行きのチャーター機に戻りますよ。

沖縄とサイパンは近いのに、3時間以上かかる理由は実にすばらしいものだった。
サイパンとテニアンの上空を、旋回してくれるんだよ。

コンチをチャーターし始めた頃から、そういうリクエストを出しているんだって。

これが実に心憎い。

右にサイパンが見えれば人々は右を見る、
左にテニアンが見えれば人々は左を見る、ってな具合で、
みんな、大喜び。まるで飛行機に初めて乗った子どものようです。


チャーターだから。

あ。テニアン。

かく言う私も、思わずはしゃいでしまって、
Tちゃんと何度も席を交代しました。
(ちなみに、着陸態勢に入っているので、シートベルトサインは点灯してます。
良い子と、良い大人は真似をしないでください)

チャーターだから。

あ。マニャガハ。

チャーターだから。

なんと感動的な風景か。


私の隣には、某OK大学の学生だという僕ちゃんがいたのですが、
「うり。あれがバンザイクリフ。小さなコテージが並んでるの、あれはマリアナリゾート&スパ。
ゴルフコースを造成する工事では200体近く遺体が出たってよ。
その隣は、元のニッコー。天皇陛下が終戦60周年でサイパンに行幸されたときに泊まったよ。
うりうり、あの鉄塔が立ってる山はタッポーチョ。サイパンで一番高い山よ。
おー!あれはススペ湖。南洋興発の製糖工場があの湖の南、うり、ちょっと高いビルあるさ、
あの辺りにあったんだけど、あの湖の水を工業用水にしてね、
今でもその当時の水路が残ってるよー」
などと、コーフンモードで説明してしまった。

飛行機はやがて、着陸。

と、同時に、恒例の拍手!






…これだ、これ。(じーん)
一度聞いてみたかったんだよな。



飛行機を降りるとき、キャプテンらしき人がいたので、
思わず声をかけてしもた。

私達は本当にフライトを楽しみました。サンキュー。

おや、本当に?それはグレイトです、ユアウエルカム。


飛行機から一歩出ると、ムンとした高温多湿な空気。
ああ、サイパンだ。サイパンに戻ってきたんだ♪
まわりの人たちと顔を見合わせて、
「南洋だね~♪」「南洋ですね~♪」
と、笑顔になっていました。

                             (つづく)


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Posted by いのうえちず。 at 21:54 │記憶の中のリトルオキナワ
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みんなすぐに仲良しになりました
機内盛り上がり【くらしの悩み、なんくるないさ!】at 2009年06月03日 21:52
この記事へのコメント
そうだそうだ!
感動を思い出した!
名場面集だなこりゃ・・・
Posted by boninbonin at 2009年06月02日 22:40
あの、テニアン、サイパンの上空をぐるっと旋回した話は、
サイパン在住組の友人たちに話しましたが、みんな
「えー、そんなことしたの?」とビックリ&にやりでした。

あの拍手もね、良かったですよね。
各席で、カチャーシーを踊った人もいたんじゃないかと思います。
Posted by ちず at 2009年06月02日 22:54
へぇ~~~旋回してくれたんだぁ~~。
リクエストしたとはいえ、良かったねぇ~♪

んで、となりの僕ちゃんは
「ちっ。うっせーおばはんだぜ。」
って、(+_+)してなかった?(笑)
Posted by 親方 at 2009年06月03日 16:43
ぷん。大丈夫よ。この僕ちゃんには、
行きの飛行機では「記者の方ですか?」
と聞かれ、「フリーのライターです」と答え、
帰りの飛行機では「大学の先生ですか?」
と聞かれ、「フリーのライターです」と答えたわ。
Posted by ちず。 at 2009年06月03日 16:53