プロフィール
いのうえちず。
いのうえちず。
文筆家もしくは、がちまやバカライター。座右の銘「愛と誠と肝心(ちむぐくる)」を小脇に抱え、人生街道をフルスロットルで驀進中。
いのうえちずへメール
QRコード
QRCODE
タグクラウド

2012年03月21日

今日の理事会

今日は2日間出続けた39度台の熱が37度台に落ち着いたので、
南洋群島帰還者会理事会に行きました。

今日もいろんな話が出て面白かったんですが…

宗教の違いが争いを生むかどうかの話から、Aさんのことになり…



Aさんというのは、サイパンの民間人収容所ススッペキャンプで、
O場大尉(伏字の意味なし)の部下だった某憲兵に命令されて、
親米的だった人を射殺した人のことで、戦後、沖縄に引き揚げてからは宗教者になりました。
彼のことは、この本が詳しいです。めっちゃ好きな本。




Aさん自身も本出したりしてるけどね。

AさんはO場大尉が戦後、沖縄に来た際、
「O場大尉が来られているから、南洋群島帰還者会の総会に招待してくれ」
と言ってきたのだそう。ちょうど慰霊祭の頃で、慰霊祭と総会があったんだよね。
O場大尉をはじめとする敗残兵の当時の行いについて良く思っていない民間人は多いし、
なによりAさん自身が、帰還者会でよく思われていなかったこともあり、
当時の会長(わがボス故宜野座会長よりも昔の方です)が
「西銘知事だって会費を払って出席しているのに、O場大尉だけタダで招待できるか!」
と、つっぱねたと。

ほほーん。ってか、O場大尉、沖縄まで来てたんだ。

…ってか、何しにー!?

帰還者会の長老格、伊礼さんが静かに言った。

「私はO場大尉は好きじゃない。
彼は自分たちが投降しなかったばかりか、
抱え込んだ民間人も山から出そうとはしなかった。
友達がいたから、私は何度も説得に行ったんだ。
でも彼は投降させてもらえずに、タッポーチョの下で死んだよ」

せっかく地上戦の中を生き残った命だったのに。

O場大尉の部下である憲兵のやり方にも問題があったようだ。

ただ、上運天さんが面白いことを言っていた。

「当時、私は子どもだったからね。
某さんが殺された時、子ども心に殺されて当然だと思ったよ。
もちろん今はそんなこと思ってはいませんが」

民間人まで生きて捕虜になるなと言われて、でもアメリカに保護された彼ら。
民間人収容所の中で、いろんな思い、いろんな考え方があったことだろう。
それは、当時の年齢にもよるし、どれだけの情報をベースに考えられたかにもよる。

殺された人は英語がしゃべれて、民間人の労務を取り仕切るチーフをしていたから、
一方から見れば利敵行為だということになったのだろうが。
でも、戦闘が終結している地域で、しかも民間人が殺される理由として正当といえるか。
そりゃ当人たちはまだ武装解除してないつもりだから(実際には山のルンペン状態だったようですが)、
オレらまだ戦争やってるけど何か?って論理なのか。

この話、自分の中では何度も反芻してきたことだけど、今日は「同調圧」について考えた。

震災から1年たった今、「震災がれき」の受け入れをめぐって、
「震災がれきは絶対ダメ!」って反対派と、
「いいじゃん。受け入れは被災地を助けることになるよ」って推進派がいる。
ネット上の情報発信って偏っている上に、ある種の「同調圧」があって時々疑問を感じている。
内容が稚拙な報道風のもの(決してまともな報道とはいえない)とか、とてもじゃないけど肯定できない。
でもね、「同調圧」って決してネット上だけのものじゃなくて、
67年前のサイパンでも、自分と考え方が違う人間を容認できずに殺人が起きている。
これはもしかしたら、なにやら普遍的に分析できる心理状態なのかもしれないな。
「空気を読む」習性のある日本人特有のものとも思えない。
個人主義のフランス人にはなさそうだけど、ヒーロー大好きなアメリカ人にはありそうな。

少なくとも、集団ヒステリーみたいになっちゃいかんよなぁ。




…さて、理事会に話を戻しますが。

チヨ子さんは、O場大尉率いる敗残兵が武装解除するところを見たそうです。
「え?あれって、民間人の前でやったんですか?」
「ううん、そうじゃないけど、O場大尉が投降する!って、
私たちも見に行ったわけさ。こんなして、やってたよ(と、軍刀を掲げる仕草を実演)」

民間人収容所に時々紛れ込んでは、情報工作やら、
食べ物や物資の無心をしてきた彼ら。
もちろん日本人の中には彼らを応援する立場の人もいて、
そんな敗残兵を取り締まる役目を与えられたのはチャモロ人のHさんで、
関係ないのに尋問されてハタ迷惑な思いをした民間人もいた。
まあとにかく、いろんな人のいろんな思惑があったんだよね。
チヨ子さん自身もAさんに食べ物を差し入れしたりしてたって。

そして、前にも書いたけど、
O場大尉たちに新品の服を用意した元サイパン高女の女の子は罰せられたと。
彼女にも、彼女の正義があったんだろうけど。けど。それにしても。



去年、ケンジくんとサイパンで見たこの映画、DVDになってるのね。
もう一回見てみようかなぁ、と思うのだった。
やっぱ「奇跡とかって、美化しすぎだろ」って、ツッコミ入れちゃうだろうなぁ。
まあ少なくとも、竹野内くんみたくステキなわけないよねー。


同じカテゴリー(記憶の中のリトルオキナワ)の記事
南洋慰霊と交流の旅
南洋慰霊と交流の旅(2012-01-13 03:25)

ホームパーティ
ホームパーティ(2010-07-22 13:35)

行くぜ!南洋
行くぜ!南洋(2010-03-24 22:13)

Posted by いのうえちず。 at 23:05│Comments(2)記憶の中のリトルオキナワ
この記事へのコメント
「日本領サイパン島の一万日」
これって、あっしも・・・
「めっちゃ好きな本」です。
ラストは、当方、地元の浦賀へ・・・

        (つのい いちろう)
Posted by 角井 一郎 at 2012年03月27日 17:07
この前バージョンの『海の向こうの祖国』も読んだけど、
『日本領…』のほうが断然よかったです。
Posted by ちず at 2012年03月28日 01:34
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。