2010年07月20日
サイパン慰霊祭2010
お供えものも例年より少なめ。人数も少ないから香炉も少なめ。
予算がないからお花も例年より小ぶり。
(だけどデザイン的には今年のお花がかわいらしかった)
サイパンの神父さんが、ご祈祷をしてくれるのは例年通り。
これも断るかどうかって話がありましたが、結局は例年通りに。
予算がないからお花も例年より小ぶり。
(だけどデザイン的には今年のお花がかわいらしかった)
サイパンの神父さんが、ご祈祷をしてくれるのは例年通り。
これも断るかどうかって話がありましたが、結局は例年通りに。
2006年、テニアンの慰霊碑に落書きをされる事件があり、
私はとても腹立たしかったのですが、
実は慰霊碑にイタズラをされるのは、それが初めてではなかったのだそうです。
以前もイタズラをする人がいて、困っていた、と。
そこで、現地で司祭さまに来ていただいたところ、
ピタッとイタズラがおさまったというんですね。
カトリック信者の多いローカルたちの間では、
自分たちの神父さまや司祭さまが祈祷をするスポットは、
自分たちにとっても大事であるという認識になるらしい。
もちろん、イタズラ防止を目的として、現地の方にご祈祷をお願いしたのではなく、
県の慰霊碑であるサイパンの「おきなわの塔」に、
沖縄からお坊さんなり神主さんなり、
一定の宗教者を連れて行くわけにはいかないという事情もありました。
いろんな事情は思惑はさておき、私はこの光景が好きなんだな。
激戦の地に建立される慰霊碑は多いけれど、
その地域の方々との交流を大切にしている慰霊団は、そう多くない。
南洋群島帰還者会の大きな特長のひとつが、
現地との草の根の交流だと思うんです。
島の人たちが来てくれる「おきなわの塔」での慰霊祭。これが好き。
今年は、遺族代表挨拶を、わったー事務局長がされたのですが、
ローカルの方々への配慮、お隣の韓国人慰霊碑への配慮、
そういう言葉の一つひとつに、わしはとっても共感したのでした。
家族を亡くした、友人を亡くした、そういう自分たちの辛さ、悲しさだけで精一杯、
地元に対する思いやりのかけらもない碑文をしたためた慰霊碑が、
沖縄県内だけじゃなく、国外にもたくさん建立されている。
平和の礎に代表される、沖縄の肝心(ちむぐくる)と平和への願いは、
そんなレベルのものじゃないとわしは思うんだな。
日本語を話せる高齢者が減り、戦前からのおつきあいがある人が減り、
南洋群島帰還者会の交流も、元々のカタチから変わってきている。
これから、どうやってローカルの人々とおつきあいをしていくか、これもまた課題が多い。
私にはどんなお手伝いができるかな、と、今年は本当に考えさせられることが多かった。
6月23日慰霊の日、那覇市内のホテルで総会・懇親会を行っていたところ、
隣の部屋を会場に、ある遺族会の方々が懇親会かな?会合を開かれていた。
彼らの何人かが「南洋群島」の文字にひかれて、受付へきた。
摩文仁から那覇へ平和行進してきたんだって。
中には、お父さんが沖縄へ配属される前に南方にいた、という人も。
販売していた本を興味深げに買う人もいたので、プログラムをあげた。喜ばれた。
その後、受付をしめるのに、お金の計算やら何やらでバタバタしているところへ、
「あんたがたの代表者、誰かいない?」
と、遺族会の人がまた来た。赤ら顔だ。
「代表者は今、総会中ですので出られませんが」
と答えた。
「あ、そう、じゃ、誰でもいいからちょっとこっち来てくれないかな。話をしたいって人がいるんだよ」
まだやることあるのに困った人たちだな。こっちの都合は関係ないのか。
しょうがないから私が行った。
酔っ払いの相手をするのに、わったー会長や、副会長、他の理事たちをかり出すわけにはいかない。
そもそも、いきなり来て代表を出せ、その次は誰でもいいって、どういうこと?
私の顔には「誰だよ、おまえら」って書いてあったはず。
でも、とりあえず隣の部屋へ行った。
「親父が沖縄で戦死したんだよ。沖縄に来る前にテニアンにいたんだが」
「そうですか!では海軍の方ですね」
「あんたよく知ってるね。沖縄のどこで死んだか、わからなくてね」
「そうでしたか…小禄の海軍壕にいらっしゃったかもしれませんね」
この辺まではフツーに会話できたけど。。。。
「お姉さん、そっちも遺族会か?」
「いえ、私どもは、戦前、旧南洋群島に移民として渡っていた民間人の団体です」
「ああそう、じゃ、あんたも南洋からの引揚者?」
「いえ、私は戦後生まれですから」
「移民ってことは、満州と同じだな」
「いえ、正確には違います」
「同じじゃないか、国策で行ったんだろ」
「自由移民もいますから、正確には違います」
「同じようなもんだろ」
何なんだろ、一体。
「…あのう、何か御用でしょうか」
「今日は平和行進でさ、那覇まで歩いてきたんだよ」
「そうですか」
「毎年、歩いてるんだよ」
…。
それから延々と、炎天下を歩く苦労話、毎年沖縄に来ているという話、
この人の親父さんも、この人の親父さんも沖縄で死んだという話、
遺族会も年々高齢化が進んで大変だという話。自分の話をしたくてしょうがない皆さん。
適当に相槌をうつのに疲れた頃、誰かのスピーチが始まった。
「じゃ、そろそろ戻りましょうね」と言って失礼した。
私はうんざりしていた。
あなたのお父さんは、もしかしたらガマで赤ちゃんを殺せと言ったかもしれませんね。
あなたの叔父さんは、民間人から食料を奪ったかもしれませんよ。
そんな意地悪な言葉が頭をよぎった。
受付に戻って「なんなんだ、あれは」と悪態をついた。
そんな慰霊なら、私は参加したくない。共感もできない。
今年は、なんだかそんなことを感じる機会がいろいろあったな。
私はとても腹立たしかったのですが、
実は慰霊碑にイタズラをされるのは、それが初めてではなかったのだそうです。
以前もイタズラをする人がいて、困っていた、と。
そこで、現地で司祭さまに来ていただいたところ、
ピタッとイタズラがおさまったというんですね。
カトリック信者の多いローカルたちの間では、
自分たちの神父さまや司祭さまが祈祷をするスポットは、
自分たちにとっても大事であるという認識になるらしい。
もちろん、イタズラ防止を目的として、現地の方にご祈祷をお願いしたのではなく、
県の慰霊碑であるサイパンの「おきなわの塔」に、
沖縄からお坊さんなり神主さんなり、
一定の宗教者を連れて行くわけにはいかないという事情もありました。
いろんな事情は思惑はさておき、私はこの光景が好きなんだな。
激戦の地に建立される慰霊碑は多いけれど、
その地域の方々との交流を大切にしている慰霊団は、そう多くない。
南洋群島帰還者会の大きな特長のひとつが、
現地との草の根の交流だと思うんです。
島の人たちが来てくれる「おきなわの塔」での慰霊祭。これが好き。
今年は、遺族代表挨拶を、わったー事務局長がされたのですが、
ローカルの方々への配慮、お隣の韓国人慰霊碑への配慮、
そういう言葉の一つひとつに、わしはとっても共感したのでした。
家族を亡くした、友人を亡くした、そういう自分たちの辛さ、悲しさだけで精一杯、
地元に対する思いやりのかけらもない碑文をしたためた慰霊碑が、
沖縄県内だけじゃなく、国外にもたくさん建立されている。
平和の礎に代表される、沖縄の肝心(ちむぐくる)と平和への願いは、
そんなレベルのものじゃないとわしは思うんだな。
日本語を話せる高齢者が減り、戦前からのおつきあいがある人が減り、
南洋群島帰還者会の交流も、元々のカタチから変わってきている。
これから、どうやってローカルの人々とおつきあいをしていくか、これもまた課題が多い。
私にはどんなお手伝いができるかな、と、今年は本当に考えさせられることが多かった。
6月23日慰霊の日、那覇市内のホテルで総会・懇親会を行っていたところ、
隣の部屋を会場に、ある遺族会の方々が懇親会かな?会合を開かれていた。
彼らの何人かが「南洋群島」の文字にひかれて、受付へきた。
摩文仁から那覇へ平和行進してきたんだって。
中には、お父さんが沖縄へ配属される前に南方にいた、という人も。
販売していた本を興味深げに買う人もいたので、プログラムをあげた。喜ばれた。
その後、受付をしめるのに、お金の計算やら何やらでバタバタしているところへ、
「あんたがたの代表者、誰かいない?」
と、遺族会の人がまた来た。赤ら顔だ。
「代表者は今、総会中ですので出られませんが」
と答えた。
「あ、そう、じゃ、誰でもいいからちょっとこっち来てくれないかな。話をしたいって人がいるんだよ」
まだやることあるのに困った人たちだな。こっちの都合は関係ないのか。
しょうがないから私が行った。
酔っ払いの相手をするのに、わったー会長や、副会長、他の理事たちをかり出すわけにはいかない。
そもそも、いきなり来て代表を出せ、その次は誰でもいいって、どういうこと?
私の顔には「誰だよ、おまえら」って書いてあったはず。
でも、とりあえず隣の部屋へ行った。
「親父が沖縄で戦死したんだよ。沖縄に来る前にテニアンにいたんだが」
「そうですか!では海軍の方ですね」
「あんたよく知ってるね。沖縄のどこで死んだか、わからなくてね」
「そうでしたか…小禄の海軍壕にいらっしゃったかもしれませんね」
この辺まではフツーに会話できたけど。。。。
「お姉さん、そっちも遺族会か?」
「いえ、私どもは、戦前、旧南洋群島に移民として渡っていた民間人の団体です」
「ああそう、じゃ、あんたも南洋からの引揚者?」
「いえ、私は戦後生まれですから」
「移民ってことは、満州と同じだな」
「いえ、正確には違います」
「同じじゃないか、国策で行ったんだろ」
「自由移民もいますから、正確には違います」
「同じようなもんだろ」
何なんだろ、一体。
「…あのう、何か御用でしょうか」
「今日は平和行進でさ、那覇まで歩いてきたんだよ」
「そうですか」
「毎年、歩いてるんだよ」
…。
それから延々と、炎天下を歩く苦労話、毎年沖縄に来ているという話、
この人の親父さんも、この人の親父さんも沖縄で死んだという話、
遺族会も年々高齢化が進んで大変だという話。自分の話をしたくてしょうがない皆さん。
適当に相槌をうつのに疲れた頃、誰かのスピーチが始まった。
「じゃ、そろそろ戻りましょうね」と言って失礼した。
私はうんざりしていた。
あなたのお父さんは、もしかしたらガマで赤ちゃんを殺せと言ったかもしれませんね。
あなたの叔父さんは、民間人から食料を奪ったかもしれませんよ。
そんな意地悪な言葉が頭をよぎった。
受付に戻って「なんなんだ、あれは」と悪態をついた。
そんな慰霊なら、私は参加したくない。共感もできない。
今年は、なんだかそんなことを感じる機会がいろいろあったな。
Posted by いのうえちず。 at 20:51│Comments(8)
│記憶の中のリトルオキナワ
この記事へのコメント
ただ単に、頑張ってることを認めてほしかっただけじゃないかなぁ?
話を聞いてくれて、それは大変ですねって、言ってほしかった。
そんな深い、複雑な心境なんてこれっぽっちもなかったと思うよ。
話を聞いてくれて、それは大変ですねって、言ってほしかった。
そんな深い、複雑な心境なんてこれっぽっちもなかったと思うよ。
Posted by ちえこ at 2010年07月20日 21:24
悪気のない無神経は、どうしようかね?
悪気がないのが、一番タチが悪いとわしは思うよ。
無自覚だから、直らない。
じゃ、自分の母親にほめてもらえばいいよ。
もしくは金払って、スナックのねえちゃんにほめてもらえば?
まだ仕事中の人間を呼びつけて、何なんだろ。
これを無神経と呼ばずして、何を無神経と呼ぶ。
横柄な態度のおっさんの機嫌をとるような、ムダなホスピタリティはわしにはない。
悪気がないのが、一番タチが悪いとわしは思うよ。
無自覚だから、直らない。
じゃ、自分の母親にほめてもらえばいいよ。
もしくは金払って、スナックのねえちゃんにほめてもらえば?
まだ仕事中の人間を呼びつけて、何なんだろ。
これを無神経と呼ばずして、何を無神経と呼ぶ。
横柄な態度のおっさんの機嫌をとるような、ムダなホスピタリティはわしにはない。
Posted by ちず at 2010年07月20日 21:42
ちずちゃんが、話を聞いてほしいほど、可愛かったんだよ~。
お金取りそうにないし。
それにちゃんと話聞いてあげたじゃん。
おやじはちずちゃんの内面のホスピタリティを見抜いてたんだよ。
やられたね(笑)
お疲れ様でした><
お金取りそうにないし。
それにちゃんと話聞いてあげたじゃん。
おやじはちずちゃんの内面のホスピタリティを見抜いてたんだよ。
やられたね(笑)
お疲れ様でした><
Posted by ちえこ at 2010年07月20日 22:56
まあね、天使のようなわしの本性は隠し切れないからな。
それにしても。
沖縄に山ほどある無神経な慰霊碑と、
まったく同じ精神構造を見た気分で、
ヒジョーにヤな感じだったわ。
それにしても。
沖縄に山ほどある無神経な慰霊碑と、
まったく同じ精神構造を見た気分で、
ヒジョーにヤな感じだったわ。
Posted by ちず at 2010年07月21日 07:28
さすが、写真きれいなあ。ワシのブログとレベルが違う。
もって生まれた天性か?
もって生まれた天性か?
Posted by bonin at 2010年07月21日 11:45
ヘボいながらも、一応一眼レフで撮ったから~。
携帯とは違うさー。
携帯とは違うさー。
Posted by ちず at 2010年07月21日 12:19
基本が酔っ払いだからねい。。。。
酒も入ってないのに、横柄で無神経で無礼だと、「何年人間やってるんだ」って感じになるわな。
まぁ、単に話したかっただけなんじゃないの?
それでも、こっちが何かしている時だとウザイけどね。
相手する義理もないし。
お疲れ~~♪
酒も入ってないのに、横柄で無神経で無礼だと、「何年人間やってるんだ」って感じになるわな。
まぁ、単に話したかっただけなんじゃないの?
それでも、こっちが何かしている時だとウザイけどね。
相手する義理もないし。
お疲れ~~♪
Posted by 親方 at 2010年07月22日 12:00
自分たちだけで話をして、労をねぎらいあってほしいよ。
Posted by ちず at 2010年07月22日 12:40