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文筆家もしくは、がちまやバカライター。座右の銘「愛と誠と肝心(ちむぐくる)」を小脇に抱え、人生街道をフルスロットルで驀進中。
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2008年06月18日

やったー!

鉄血勤皇隊の人に、取材させてもらえることになった!

今回、戦前にサイパンから沖縄へ引き揚げて一中へ進学したYさんに、
鉄血勤皇隊の人を紹介してもらうことになってた。
駄菓子菓子、一人目は健康上の理由で、
二人目は耳が遠くて(戦争でやられたのがそもそもの原因だとYさん)、
取材は遠慮するとのこと。

むう。。。
戦争体験の取材も、急がないといけない仕事なんだな。。。
実は、『語り継がれるべきもの~こども達が描く戦世~』では、
話を聞かせてくれる戦争体験者を探すのがひと苦労。
だけど、周囲の皆さんのあたたかい手助けで、何とかなってきた。
ここでくじけちゃいけない、転んでもタダで起きるなよ、ちずちゃん。
と、自分に言い聞かせる。

Yさん本人が一中OBでありながら、なぜ鉄血勤皇隊の話をしないかというと…
Yさんは、鉄血勤皇隊結成直前に、親の許可を得ようと
首里から現在のうるま市の実家へ歩いて帰宅。
法的根拠なく学徒を動員するため、「自発的に」戦に行くという体裁を整えるため、
一応保護者の許可を得て参加することになっていた。
親は当然行くなと言うけど、軍国少年だもん。聞く耳なんかない。
家は出た。でも足を負傷してしまう。
その間に空襲が激しくなり、とうとう具志川から首里には行けず、
親が避難していた壕に戻ったことで、生き残った。
もしも、あの時、負傷せず、首里に戻っていたら、
今は生きてはいないかもしれない。

「人の運命って、わからないもんですねぇ。。。」
「だからねぇ。。。」
「Yさん、サイパンで終戦かと思っていました」
「僕は沖縄なんだよね。。。」
「でも仮にサイパンに残っていたとしても、地上戦ですもんね」
「ああ、これは生きていなかったかもしれない」

サイパンへ向かう乗り継ぎのセントレアで、そんな話を聞く不思議。
そうだよね、戦前・戦時中に引き揚げた人も、結構な数になるもんね。
「南洋から呉にも引き揚げたはず」
と言われてもピンとこなかったけど、(引き揚げ=戦後だというイメージが強くて)
そうだよなー。戦前・戦時中なら南洋を出た船が呉に着くのは不思議じゃないよ。
終戦をどこで迎えたか、って、大きな問題だよなぁ。


話を戻して。

もうちょっと粘ってみるか。
そうだ、別の一中OBにも相談してみよう。
Kさんは戦時中に陸軍経理学校へ進学したため、
鉄血勤皇隊ではないんだな。
同じ一中OBでも、戦争体験は一人ひとり違うんだよねぇ。
つい「一高女・女子師範=ひめゆり」「一中=鉄血勤皇隊」と思っちゃうけど、
全員が全員、そうではない。


で、紹介してもらった方が、快く取材を受けてくださることに。

ひやー、よかった♪

「ところで」

と、今回、取材を受けてくださる方を紹介してくれたKさん。

「あんたの携帯番号が僕の携帯から消えないんだけど」
「???なんでですかね????」
「用件ありになって、消えないんだよ」
「はて。。。」
「あんたの携帯、おかしいんじゃない?(笑)」
「えー、ちがうと思います(笑)」





誰か英霊のお導きに違いないよ、とニヤニヤしながら電話を切った。
どなたか知りませんが、ありがとうございます。


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Posted by いのうえちず。 at 10:22 │沖縄
この記事へのコメント
 うちなーンチュはもっと過去の戦争のことしっかり語り継いでいかないといけないと思う。40を過ぎ子供をもって特に感じる今日この頃です・・・慰霊の日を前に。 ちずさん頑張って下さい。
Posted by kinryo at 2008年06月18日 11:56
Kさんに「一票」♪
Posted by 親方 at 2008年06月18日 17:34
kinryoさん、ようこそあたくしの館へ。
慰霊の日を前に。
そうですねー、たしかに。
私はうちなー産ではないけれど、
日本人としては避けて通れない問題だと思ってます。

>親方
きのうもKさんにいいもの見せてもらったよ~♪
そりは別記事にて。

会った時に携帯の画面を見せてくれて、
「ほら、これ。用件あり。これが消えないんだよ。
だから電話せざるを得ないわけ(笑)」
って。日曜日、またお世話になります。
Posted by ちず at 2008年06月19日 13:09
ちずさん、はじめまして。
毎回、我が家の軌跡を追えるようなお話しを楽しみにしているのですが、
今回はちょっと気になった部分があって書き込ませて頂きます。

>(引き揚げ=戦後だというイメージが強くて)
>そうだよなー。戦前・戦時中なら南洋を出た船が呉に着くのは不思議じゃないよ。

ここは少々注意が必要ではないでしょうか。
よく分かっておられる方は良いのですが、永続的な疎開に類するものまでイメージに含んでしまうと、
山崎豊子さんのように戦闘参加者まで含む誤解をする方が出かねません。
杞憂だと良いのですが、テニアンのAのような方が増えてきているご時勢でもありますし、
大抵の作家には、貴方ほどのフィールド力と洞察力を望めませんから…。
笹さんの本を読んだときなど、絶句して動けませんでした。

いささか過激にわたりましたが、これからも深い目と「がちまい」っぷりに期待しています(笑)
Posted by Leonard at 2008年06月21日 03:21
Leonardさん、ようこそあたくしの館へ。

私が持ってたイメージは、
疎開=戦争からの避難で一時的なもの、
引き揚げ=いわゆる外地から日本に住むために帰ってくること。
でした。なので、今回の墓参団で話している中で
「呉の出身?南洋からの引き揚げ船は呉にも着いたはず」
とある方から聞いた時、
(???内地への引き揚げ船は横須賀では???)
と、ピンとこなかったんですよ。
よーく聞いたら、戦前に南洋を出た船のことでした。
それだったら呉に着いてたかも!
でも民間人が乗った船も呉に着いたのかなー?
ぬー、今度帰ったら調べてみようかなー、
などなど、ぶつぶつ思ってたんです。

戦前に南洋から引き揚げた
(稼いで故郷に錦を飾った人あるいは首が回らなくて帰った人)方もいて、
戦時中に疎開した方もいて、
戦後、強制的に引き揚げさせられた人もいる。
それぞれ、全く意味が違いますよね。
で、また、戦後の引き揚げは、どこから引き揚げたかによって、
全く状況が異なりますよね。大陸と台湾では雲泥の差だったり。
同じテニアンだって、戦後いつ引き揚げたかによって、
全然状況が違いますもんね。

フィールド力とか洞察力とか、いやーん、
ほめ言葉に弱いんです、私。(照)
過大評価をありがとうございます。

…ところでLeonardさん、もしや関係者?
Posted by ちず at 2008年06月21日 09:29