2007年04月28日
小倉侍従日記
昭和14年8月2日
本日、せめて小笠原諸島は行って見たし、
委任統治領はむつかしきかも知れざれど、
事変でも終了せば、南洋は行って見たしとの仰せあり。
かく積極的にご希望をお洩らしありたるは、御珍しきことなり。
昭和天皇についていた、侍従の日記ですわ。
天皇陛下の、肉声を伝える貴重な資料だな~。
事変っつうのは、いわゆる支那事変、日中戦争のことですね。
本日、せめて小笠原諸島は行って見たし、
委任統治領はむつかしきかも知れざれど、
事変でも終了せば、南洋は行って見たしとの仰せあり。
かく積極的にご希望をお洩らしありたるは、御珍しきことなり。
昭和天皇についていた、侍従の日記ですわ。
天皇陛下の、肉声を伝える貴重な資料だな~。
事変っつうのは、いわゆる支那事変、日中戦争のことですね。
日中戦争を、早く終わらせろ、陸軍は見通しを誤ったと言い、
日独伊三国同盟に最後まで反対していた昭和天皇。
この小倉侍従日記には、東宮ちゃん(皇太子殿下=今上天皇)をはじめとする
こどもたちを手元に置いておこうとする姿、
皇后陛下と夫婦ゲンカをされた姿なども書かれています。
人の日記とか手紙とかメールを見るなんて最低ですけど、
まあ、これは史料だからね^^;
と、思わず言い訳っぽいことを考えてしまうほど、
ちょっと生々しくて、非常に興味深いです。
ここで南洋とおっしゃったのは、委任統治領=旧南洋群島のことかな。
そりとも、漠然と東南アジアのことを指していたのかな。
いわゆる支那事変が終わったのは昭和20年。
とうとう昭和天皇が、旧南洋群島へ行くことはなかったわけですが。
でも、1946年に、旧南洋群島から横須賀へ引き揚げてきた人たちを慰問されて、
「ご苦労だったね」「坊や、寒くはないかね」
などと直接お声をかけておいでです。
それなりに、民草のことをお気にかけておいでだったのでしょう。
日独伊三国同盟に最後まで反対していた昭和天皇。
この小倉侍従日記には、東宮ちゃん(皇太子殿下=今上天皇)をはじめとする
こどもたちを手元に置いておこうとする姿、
皇后陛下と夫婦ゲンカをされた姿なども書かれています。
人の日記とか手紙とかメールを見るなんて最低ですけど、
まあ、これは史料だからね^^;
と、思わず言い訳っぽいことを考えてしまうほど、
ちょっと生々しくて、非常に興味深いです。
ここで南洋とおっしゃったのは、委任統治領=旧南洋群島のことかな。
そりとも、漠然と東南アジアのことを指していたのかな。
いわゆる支那事変が終わったのは昭和20年。
とうとう昭和天皇が、旧南洋群島へ行くことはなかったわけですが。
でも、1946年に、旧南洋群島から横須賀へ引き揚げてきた人たちを慰問されて、
「ご苦労だったね」「坊や、寒くはないかね」
などと直接お声をかけておいでです。
それなりに、民草のことをお気にかけておいでだったのでしょう。
Posted by いのうえちず。 at 16:42
│記憶の中のリトルオキナワ
この記事へのコメント
今、昭和13年と15年の手紙を
読んでます。これ学校の宿題です。
連休明けにクラスで発表予定。
これが達筆な候文で、難渋しております。
昭和13年に除州で戦死された方の
ご遺族宛のお慰めの書簡です。
昨日、公文書館で金原先生の
「昭和史」を聴いてきました。
(卜部侍従絡みのマル秘ネタもありました)
そこで顔馴染みの公文書館の先生に
若干の宿題に対するアドバイスを
戴いた。昭和30年頃までは
候文の手紙を書く人は書いてたとのこと。
宿題作業の方向に間違いなしを知り一安心。
公文書館の裏舞台見学もありました。
そこに戦後引揚関係資料何十箱の
ダンボールが山済みされていた。
何処かの大学に寄贈すべく嫁入先を
物色中の預りモノだとか・・・。
引取り手が無くてお困りのようでした。
何処かに良いお婿さんはいないでしょうか?
一日も早い公開が待たれます。
(つのい いちろう)
読んでます。これ学校の宿題です。
連休明けにクラスで発表予定。
これが達筆な候文で、難渋しております。
昭和13年に除州で戦死された方の
ご遺族宛のお慰めの書簡です。
昨日、公文書館で金原先生の
「昭和史」を聴いてきました。
(卜部侍従絡みのマル秘ネタもありました)
そこで顔馴染みの公文書館の先生に
若干の宿題に対するアドバイスを
戴いた。昭和30年頃までは
候文の手紙を書く人は書いてたとのこと。
宿題作業の方向に間違いなしを知り一安心。
公文書館の裏舞台見学もありました。
そこに戦後引揚関係資料何十箱の
ダンボールが山済みされていた。
何処かの大学に寄贈すべく嫁入先を
物色中の預りモノだとか・・・。
引取り手が無くてお困りのようでした。
何処かに良いお婿さんはいないでしょうか?
一日も早い公開が待たれます。
(つのい いちろう)
Posted by 角井 一郎 at 2007年04月29日 12:08
ぎゃー、それ、なんというお宝ですか!
そんなもんが眠っているの!?
もったいない!!!!
そんなもんが眠っているの!?
もったいない!!!!
Posted by いのうえちず。 at 2007年04月29日 12:29
>でも、1946年に、旧南洋群島から
>横須賀へ引き揚げてきた人たちを
>慰問されて、「ご苦労だったね」
>「坊や、寒くはないかね」
>などと直接お声をかけておいでです。
その2月20日のことは・・・
「浦賀引揚援護局史」などにも
詳しく書かれています。
援護局の病舎にも立寄られて
患者さん、お一人お一人に
お声を掛けたそうです。
午前中は久里浜の援護局、
午後も市内の野比や鴨居、浦賀の
病院や援護所と丸一日を慰問に
費やしたとか・・・。
最近の政治家の被災地での
形式的な駈足慰問。
少しは見習ったらどうでしょう。
あっつ、そうそう・・・
昨日の金原先生のお話。
明治、大正、昭和の三代の天皇の中で
ご聖断を下したのは昭和天皇だけ・・・。
それが出来たのは皇太子時代の
西欧旅行で自由と平等の社会に
大いに驚いたのが原点だとか。
何となく分かるような気がしません?
(つのい いちろう)
>横須賀へ引き揚げてきた人たちを
>慰問されて、「ご苦労だったね」
>「坊や、寒くはないかね」
>などと直接お声をかけておいでです。
その2月20日のことは・・・
「浦賀引揚援護局史」などにも
詳しく書かれています。
援護局の病舎にも立寄られて
患者さん、お一人お一人に
お声を掛けたそうです。
午前中は久里浜の援護局、
午後も市内の野比や鴨居、浦賀の
病院や援護所と丸一日を慰問に
費やしたとか・・・。
最近の政治家の被災地での
形式的な駈足慰問。
少しは見習ったらどうでしょう。
あっつ、そうそう・・・
昨日の金原先生のお話。
明治、大正、昭和の三代の天皇の中で
ご聖断を下したのは昭和天皇だけ・・・。
それが出来たのは皇太子時代の
西欧旅行で自由と平等の社会に
大いに驚いたのが原点だとか。
何となく分かるような気がしません?
(つのい いちろう)
Posted by 角井 一郎 at 2007年04月29日 12:52
>ぎゃー、それ、なんというお宝ですか!
メールをご覧下さい。
(つのい いちろう)
メールをご覧下さい。
(つのい いちろう)
Posted by 角井 一郎 at 2007年04月29日 12:58
あー、この小倉侍従日記にも出てくるんですが、
「自分の人生の花は、欧州訪問であった」
と述懐してるんですよ、陛下が。戦時中に。
これには侍従一同、キュンとなったらしいです。
20年前が花だったって、大日本帝国のエンペラーがですよ。
天皇って、孤独な仕事なんだなーと思いました。
でも、天皇からマッカーサーへの手紙の中で、
「沖縄はアメリカが統治したらよろし」
と、沖縄を切り捨てるような発言をしていますよね。
あの真意は何だったんだろう。。。と思います。
こりゃ、他の侍従日記とか、高松宮日記とかも見る必要があるかな。
「自分の人生の花は、欧州訪問であった」
と述懐してるんですよ、陛下が。戦時中に。
これには侍従一同、キュンとなったらしいです。
20年前が花だったって、大日本帝国のエンペラーがですよ。
天皇って、孤独な仕事なんだなーと思いました。
でも、天皇からマッカーサーへの手紙の中で、
「沖縄はアメリカが統治したらよろし」
と、沖縄を切り捨てるような発言をしていますよね。
あの真意は何だったんだろう。。。と思います。
こりゃ、他の侍従日記とか、高松宮日記とかも見る必要があるかな。
Posted by いのうえちず。 at 2007年04月29日 19:31