2009年06月04日
ヌジファか。
どういうわけか、初回の南洋群島取材から、
毎回、ヌジファのお手伝いをしています。
いや、積極的にそうしてるわけじゃないんだけど、
結果的にそうなっちゃうという。
今回は、初日。
間に入っていた人との情報のやり取りがうまくかみ合わず、
正しい目的地に連れて行ってあげられなかったので、
きちんと通ったかどうか。。。。今も心残りです。
毎回、ヌジファのお手伝いをしています。
いや、積極的にそうしてるわけじゃないんだけど、
結果的にそうなっちゃうという。
今回は、初日。
間に入っていた人との情報のやり取りがうまくかみ合わず、
正しい目的地に連れて行ってあげられなかったので、
きちんと通ったかどうか。。。。今も心残りです。
その親子は、ある方を通して
私にボランティアドライバーのコーディネートをしてほしいとのことでした。
その「ある方」は、初日、到着直後に動けばいいのではないかという。
目的地は、オレアイと、パンパンガマだという。
「パンパンガマ?なんですか、それ。聞いたことない地名」
「パンパンっていうのはね、ほら…セックスのことよ。
ガマっていっても、暗渠みたいな感じで、中でしていることは見えるんだけどね。
そこがちょうど、男女の、ほら、そういう場所だったから、
パンパンガマって呼ばれていたわけ」
「ぷっ。で、場所はどのあたり?」
「ガラパンの入り口。空港のほうからずっとガラパンに行くでしょ?
ガラパンの町に入る手前に、あったわけよ。
だけどアメリカーが土地をブルでならして、今はもう跡形もないさ。
だいたい、この辺、というだけでね。だー、あっち行ったら場所を教えようね」
オレアイと、オレアイとガラパンの中間地点に行くなら、
初日に2時間もあれば十分だな。日没までの時間で、どうにかできるわ。
じゃ、私が運転しようかな。
私が運転して、助手席に、その「間に入った方」が乗り、
後部座席に、親子と、もう一人の女性。
とりあえず、オレアイまで行った。
オレアイの交差点に着くちょっと手前から、
親子と一緒に来ていた女性がブツブツ言い始めた。
そうか、もう始まってるわけか。この人が、ユタさん。
じゃあ、単にゆかりの地を訪れたいのではなく、
何か拝みをしたいんだな。
オレアイ交差点をUターンして、スピードをゆるめる。
「この辺りが、オレアイという場所ですよ」と言う。
どこか適当な場所でクルマをとめようということになった。
そこで、駐車場に入る。
「ここで拝みしてもいいですか?」
ブツブツ言ってた女性が聞いた。
…っていうか、えーと、大丈夫ですけど、
あなた、拝みのプロなら、
どこで拝みをしたいか自分でわかるんじゃないですか?
ちょっと意地悪なことを思ってしまった。
いかんいかん、こういう邪念が入るのはよくない。
せっかく、ヌジファをしようと、大枚はたいて来ているのに。
私も静かにひざをついて、じっと聞き入っていた。
ん?なんかグイスがヘン?
…あれ、これって、神道の祝詞じゃん。
沖縄の古い方言で構成されるはずの、祈りの言葉が、
途中からヤマトグチ古語の、祝詞になってる。
ちょっと違和感を感じた。これで、この拝みは通るのかしら。
だけど、このユタさんを頼んだお母さんは真剣そのもので、泣いていらっしゃる。
…う。赤の他人の私がつっこめる問題ではないな。
ご本人がいいなら、それで良しとするしかない。
拝みが終わった後、またクルマに乗って、今度はパンパンガマをめざした。
ユタさんは、
「空港に着いたときから、あんたたちについてから、
『くまよ、くまよ』(こっちよ、こっちよ)と言っているさぁ」
と言う。そういうこともあるだろうな。
しかし、その直後、ビックリした。
その親子の話をよーく聞いてみると、
ご家族が亡くなった場所は、
お父さん=カラベラ、お母さん=ススペだというではないか。
間に入った方が、「お母さんが亡くなったのは戦前」と思い込んでたフシもある。
病気で亡くなったという話だったので、戦前と思ってしまったのかもしれない。
戦前なら、ご自宅のあったオレアイに行きたいというのはわかる。
ところが、よーく話を聞いてみたら、お母さんが亡くなったのは戦後だというんだもん。
え。戦後?
間に入った方と私は、思わず顔を見合わせた。
「戦後なら、ススッペキャンプですよ。オレアイとは全然違う場所です」
と、言いつつ、私は反省した。
…間に入った人任せにせず、私自身がきちんと話を聞いていれば。
ススペに行って、キャンプ跡でちゃんと拝みができたのに。
っつか、このユタさん、ほんとに「くまよ、くまよ」って見えてるのかな。
いや、オレアイとススペは近いけどね。近いけど…。
クルマはやがて、パンパンガマはこの辺りじゃないかってエリアにさしかかった。
路肩にクルマをとめ、ちょっと降りて歩いてみましょうってことに。
ユタさんは「くまよ、くまよ」って、あっちで呼んでるから、と言い、歩き始めた。
親子はユタさんについて、クルマをおりた。
だけど、カラベラで亡くなったなら、なんでパンパンガマってことになったんだろ?
「なんでパンパンガマって地名が出てきたんですか?」
「家(オレアイ)の近くのガマでしばらく苦しんでいたというから」
間に入った人は、変な顔をして言う。
親子によると、どうやら、お父さんはバナデロ飛行場の工事に動員されて、
北部のほうに行っていたときに地上戦に巻き込まれたらしい。
それで、人づてに聞いた話では、カラベラの何とかガマで亡くなったらしいのだ。
オレアイに住んでいた。ガマで亡くなった。
オレアイに近いガマ=パンパンガマが浮上したみたい。
だけど、ガマで苦しんで亡くなったとして、
そのガマがどこにあったか、私がもっとしっかり聞いておくべきだったな。
間にサイパン帰りの人が入っていることで、私自身もツメが甘くなっていた。
しまった。この親子に悪いことしちゃった。
数分後、ユタさんと親子が戻ってきた。
「ここではない。見えない」
とユタさんは言う。
うーむ。どうにもこうにも後味が悪い。
ユタさんは、お母さんのヌジファは済んだというけど…。
翌日は慰霊祭だった。私は会場で、その親子を探した。
慰霊祭が終わって、やっと娘さんのほうを見つけた。
「昨日はすみませんでした。私は明日からテニアンに行きますけども、
最終日、テニアンから帰ってきてから多少時間がありますので、
急いで行けばカラベラにも行けます。どうしますか?」
と、声をかけた。このままにしておくのは、忍びなかったのだ。
「いえ、今ね、昨日のおばさんが、夢でガマを見せてくれた、
こっちだって言って、ちょっとあっちの山のほうへ(ラストコマンドポストの裏のほう)
行きました。なかなか帰ってこないから、拝みしてると思います」
「え。ここ、カラベラから遠いですよ」
「でもこっちだって」
「…そうですかぁ」
そこへ、ユタさんとお母さんが帰ってきた。
「終わった」と、実に晴れやかな表情。
「昨日ね、夢で見せてくれたんですよ、ガマを。
して、行ってみたら、その通りのガマがあるから、
ああ、ここだねと思って。
空港に着いたときから『くまよ、くまよ』してたからね、
良かったさ~」
最終日に、カラベラに行ってみますかとお母さんのほうに確認する。
「んーん、いいよ。もうここでできたから」
お母さんも晴れやかな笑顔だ。
いや、依頼主であるお母さんが信じるユタさんで、
そのユタさんが「できた」というなら、
その拝みは通ったと解釈するしかない。
カラベラで亡くなったというのも、人づてに聞いた話だからね。
もしかしたら本当に「おきなわの塔」の近くで亡くなったのかもしれないよ。
ちょっと出来すぎな気はするけど、まあ、世の中、
事実は小説より奇なりってことは多々あるからな。
…うーん、それにしても。
私自身は見えるわけじゃないから、
何か確信をもって意見できる立場にはないけど、
最初に見たヌジファの強烈なリアリティと、
今回の様子は、なんだか差を感じずにはいられないなぁ。
それに、私自身がベストを尽くさなかったということで、
中途半端に関わって悪かったなぁとも思う。
最終日、カラベラへ行きたいといわれていたほうが、まだ気がラクだったな。
チャーリードックへレンタカーを回してもらって直行するか、
飛行機でサイパンへ戻って、空港からレンタカーで動いて、
ホテルに戻らず、空港へ直行すれば、ススペにもカラベラにも行けた。
写真は、オレアイの某駐車場から見た風景。
誠心誠意でいきなさいよ、と、神様に言われた気がする出来事だった。
思い出して、ちょっとフクザツな心境をまた味わってます。
サイパンの地上戦から65年。
65年経っても故郷へ帰れない人がいて、
故郷へ肉親を連れて帰りたい人がいる。
そのことは、切ない事実なんだよな。
…ん、まてよ。
満州とか北朝鮮とか、
南方でもおいそれと行けないような場所で亡くなった人の場合、
やっぱ沖縄でヌジファするのかね?
サイパンやテニアン、ロタ、パラオ、ポナペくらいは、
遠いっていっても行ける距離だから、まだいいのかもしれないなー。
私にボランティアドライバーのコーディネートをしてほしいとのことでした。
その「ある方」は、初日、到着直後に動けばいいのではないかという。
目的地は、オレアイと、パンパンガマだという。
「パンパンガマ?なんですか、それ。聞いたことない地名」
「パンパンっていうのはね、ほら…セックスのことよ。
ガマっていっても、暗渠みたいな感じで、中でしていることは見えるんだけどね。
そこがちょうど、男女の、ほら、そういう場所だったから、
パンパンガマって呼ばれていたわけ」
「ぷっ。で、場所はどのあたり?」
「ガラパンの入り口。空港のほうからずっとガラパンに行くでしょ?
ガラパンの町に入る手前に、あったわけよ。
だけどアメリカーが土地をブルでならして、今はもう跡形もないさ。
だいたい、この辺、というだけでね。だー、あっち行ったら場所を教えようね」
オレアイと、オレアイとガラパンの中間地点に行くなら、
初日に2時間もあれば十分だな。日没までの時間で、どうにかできるわ。
じゃ、私が運転しようかな。
私が運転して、助手席に、その「間に入った方」が乗り、
後部座席に、親子と、もう一人の女性。
とりあえず、オレアイまで行った。
オレアイの交差点に着くちょっと手前から、
親子と一緒に来ていた女性がブツブツ言い始めた。
そうか、もう始まってるわけか。この人が、ユタさん。
じゃあ、単にゆかりの地を訪れたいのではなく、
何か拝みをしたいんだな。
オレアイ交差点をUターンして、スピードをゆるめる。
「この辺りが、オレアイという場所ですよ」と言う。
どこか適当な場所でクルマをとめようということになった。
そこで、駐車場に入る。
「ここで拝みしてもいいですか?」
ブツブツ言ってた女性が聞いた。
…っていうか、えーと、大丈夫ですけど、
あなた、拝みのプロなら、
どこで拝みをしたいか自分でわかるんじゃないですか?
ちょっと意地悪なことを思ってしまった。
いかんいかん、こういう邪念が入るのはよくない。
せっかく、ヌジファをしようと、大枚はたいて来ているのに。
私も静かにひざをついて、じっと聞き入っていた。
ん?なんかグイスがヘン?
…あれ、これって、神道の祝詞じゃん。
沖縄の古い方言で構成されるはずの、祈りの言葉が、
途中からヤマトグチ古語の、祝詞になってる。
ちょっと違和感を感じた。これで、この拝みは通るのかしら。
だけど、このユタさんを頼んだお母さんは真剣そのもので、泣いていらっしゃる。
…う。赤の他人の私がつっこめる問題ではないな。
ご本人がいいなら、それで良しとするしかない。
拝みが終わった後、またクルマに乗って、今度はパンパンガマをめざした。
ユタさんは、
「空港に着いたときから、あんたたちについてから、
『くまよ、くまよ』(こっちよ、こっちよ)と言っているさぁ」
と言う。そういうこともあるだろうな。
しかし、その直後、ビックリした。
その親子の話をよーく聞いてみると、
ご家族が亡くなった場所は、
お父さん=カラベラ、お母さん=ススペだというではないか。
間に入った方が、「お母さんが亡くなったのは戦前」と思い込んでたフシもある。
病気で亡くなったという話だったので、戦前と思ってしまったのかもしれない。
戦前なら、ご自宅のあったオレアイに行きたいというのはわかる。
ところが、よーく話を聞いてみたら、お母さんが亡くなったのは戦後だというんだもん。
え。戦後?
間に入った方と私は、思わず顔を見合わせた。
「戦後なら、ススッペキャンプですよ。オレアイとは全然違う場所です」
と、言いつつ、私は反省した。
…間に入った人任せにせず、私自身がきちんと話を聞いていれば。
ススペに行って、キャンプ跡でちゃんと拝みができたのに。
っつか、このユタさん、ほんとに「くまよ、くまよ」って見えてるのかな。
いや、オレアイとススペは近いけどね。近いけど…。
クルマはやがて、パンパンガマはこの辺りじゃないかってエリアにさしかかった。
路肩にクルマをとめ、ちょっと降りて歩いてみましょうってことに。
ユタさんは「くまよ、くまよ」って、あっちで呼んでるから、と言い、歩き始めた。
親子はユタさんについて、クルマをおりた。
だけど、カラベラで亡くなったなら、なんでパンパンガマってことになったんだろ?
「なんでパンパンガマって地名が出てきたんですか?」
「家(オレアイ)の近くのガマでしばらく苦しんでいたというから」
間に入った人は、変な顔をして言う。
親子によると、どうやら、お父さんはバナデロ飛行場の工事に動員されて、
北部のほうに行っていたときに地上戦に巻き込まれたらしい。
それで、人づてに聞いた話では、カラベラの何とかガマで亡くなったらしいのだ。
オレアイに住んでいた。ガマで亡くなった。
オレアイに近いガマ=パンパンガマが浮上したみたい。
だけど、ガマで苦しんで亡くなったとして、
そのガマがどこにあったか、私がもっとしっかり聞いておくべきだったな。
間にサイパン帰りの人が入っていることで、私自身もツメが甘くなっていた。
しまった。この親子に悪いことしちゃった。
数分後、ユタさんと親子が戻ってきた。
「ここではない。見えない」
とユタさんは言う。
うーむ。どうにもこうにも後味が悪い。
ユタさんは、お母さんのヌジファは済んだというけど…。
翌日は慰霊祭だった。私は会場で、その親子を探した。
慰霊祭が終わって、やっと娘さんのほうを見つけた。
「昨日はすみませんでした。私は明日からテニアンに行きますけども、
最終日、テニアンから帰ってきてから多少時間がありますので、
急いで行けばカラベラにも行けます。どうしますか?」
と、声をかけた。このままにしておくのは、忍びなかったのだ。
「いえ、今ね、昨日のおばさんが、夢でガマを見せてくれた、
こっちだって言って、ちょっとあっちの山のほうへ(ラストコマンドポストの裏のほう)
行きました。なかなか帰ってこないから、拝みしてると思います」
「え。ここ、カラベラから遠いですよ」
「でもこっちだって」
「…そうですかぁ」
そこへ、ユタさんとお母さんが帰ってきた。
「終わった」と、実に晴れやかな表情。
「昨日ね、夢で見せてくれたんですよ、ガマを。
して、行ってみたら、その通りのガマがあるから、
ああ、ここだねと思って。
空港に着いたときから『くまよ、くまよ』してたからね、
良かったさ~」
最終日に、カラベラに行ってみますかとお母さんのほうに確認する。
「んーん、いいよ。もうここでできたから」
お母さんも晴れやかな笑顔だ。
いや、依頼主であるお母さんが信じるユタさんで、
そのユタさんが「できた」というなら、
その拝みは通ったと解釈するしかない。
カラベラで亡くなったというのも、人づてに聞いた話だからね。
もしかしたら本当に「おきなわの塔」の近くで亡くなったのかもしれないよ。
ちょっと出来すぎな気はするけど、まあ、世の中、
事実は小説より奇なりってことは多々あるからな。
…うーん、それにしても。
私自身は見えるわけじゃないから、
何か確信をもって意見できる立場にはないけど、
最初に見たヌジファの強烈なリアリティと、
今回の様子は、なんだか差を感じずにはいられないなぁ。
それに、私自身がベストを尽くさなかったということで、
中途半端に関わって悪かったなぁとも思う。
最終日、カラベラへ行きたいといわれていたほうが、まだ気がラクだったな。
チャーリードックへレンタカーを回してもらって直行するか、
飛行機でサイパンへ戻って、空港からレンタカーで動いて、
ホテルに戻らず、空港へ直行すれば、ススペにもカラベラにも行けた。
写真は、オレアイの某駐車場から見た風景。
誠心誠意でいきなさいよ、と、神様に言われた気がする出来事だった。
思い出して、ちょっとフクザツな心境をまた味わってます。
サイパンの地上戦から65年。
65年経っても故郷へ帰れない人がいて、
故郷へ肉親を連れて帰りたい人がいる。
そのことは、切ない事実なんだよな。
…ん、まてよ。
満州とか北朝鮮とか、
南方でもおいそれと行けないような場所で亡くなった人の場合、
やっぱ沖縄でヌジファするのかね?
サイパンやテニアン、ロタ、パラオ、ポナペくらいは、
遠いっていっても行ける距離だから、まだいいのかもしれないなー。
Posted by いのうえちず。 at 08:34
│記憶の中のリトルオキナワ