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文筆家もしくは、がちまやバカライター。座右の銘「愛と誠と肝心(ちむぐくる)」を小脇に抱え、人生街道をフルスロットルで驀進中。
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2007年04月05日

家族の肖像

沖縄で一番おいしい砂糖天ぷらだと私が思うのは、Yさんお手製のもの。
米軍のメスホール(食堂)で長く働いたというYさんオリジナルのレシピは、
ほんのりオレンジの香りがして、でーじおいしいのよん。

家族の肖像

これは、テニアンで戦前に撮影された写真です。
Yさんのお父さんは、最初は仲本酒造所で働いていましたが、
やがて南洋興発の軽便鉄道の運転手になりました。
今は鉄道の跡なんて見る影もないテニアンですが、
当時は、伐採したキビを運ぶための軽便鉄道が、
各農場事務所を回るように敷設されていました。
Yさんは、沖縄県史に残る機関車の写真を見て、
「ああ、これは1号車だね」
父親の仕事を誇りに思う少年だったのでしょう、車両の形ですぐにわかるとおっしゃいました。
基本的には軽便鉄道は、キビの運搬用でしたが、
人が乗れる貨車のついた機関車もあったそうです。

この家族写真は、ハワイに移民していた親戚が送ってくれた服を着て、
家族で記念写真を撮影したときのもの。
海岸通りに近かったYさんちの、自宅の前あたりではないかということでした。

Yさんちにあった写真は、すべてテニアン地上戦で焼失しました。
戦前、テニアンからハワイの親戚に送っていた写真が、戦後になって沖縄へ戻ってきたそうです。
「家族の写真がないだろう」という、親戚の気配りだったそうです。
たった一枚の写真ですが、その背景にはいろんな人の想いがあるんですね。

私に言えることが一つあるよ。
写真をとったらね、友達にたくさん送りなさい。
必ず戻ってくるから。


その言い方は沖縄独特のユーモア(時にブラックユーモアを含む)に満ちていて、
でも少し悲しく、私は笑った後、鼻の奥がつんとしました。


ちなみに、Yさんは地上戦の時、
「自決をしてはいけない、アメリカは民間人は殺さない」
と日本兵に説得され、投降の仕方も教わって、
その通りにして助かったのだそうです。
棒の先に白い布を結びつけて、投降を勧告するビラを持って、
おそるおそる米兵の前に出た。

「あの兵隊さんがいなかったら、私はここにいないわけさ」

その兵隊さんは、自決したそうです。

「せめて部隊名と名前だけでも聞いていれば」と、
Yさんはとても残念に思っているといいました。



日本軍が集団自決を強要していたという記述を消すよう求める教科書検定は、
間違っていると私は思います。
とはいえ、個々のシチュエーションで、
全ての集団自決を100%日本兵が強要したかどうかはわからないと思います。
南洋では、Yさんのように、Mタンメーのように、日本兵に救われた人もいる。
沖縄ではどうだったんだろう。

だけど、南洋でも沖縄でも、全体として、軍が糸をひく軍国教育があり、
当時の日本人たちが「自決は潔く、美しいもの。日本人として当然のこと。捕虜になるより自決を」
と思っていた・思わされていたことは事実。
自決のための手りゅう弾を、兵隊にもらった人、配られた人だっていました。
そこのところをすっとばして、
日本軍が作り出し・人々を追い込み・仕向け・実質的に強要した「集団自決」を、
「強要したとはいえない」なんて、
ずいぶん日本軍への善意に満ちた解釈もあったもんだ、と思います。


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Posted by いのうえちず。 at 19:00 │沖縄からテニアンへ
この記事へのコメント
うちでも、ダンナと、「100%どっちかじゃない、いろんなケースがあるよね!」って話したよ。日本軍にひどい目にあわされた人も、反対に助けてもらった人も。

慰安婦問題も、自分の意思でお金儲けのために慰安婦になった人もいるだろうし、ほんとに無理やり連れてこられたって人もいるだろうし。

でも全部悪いことはなし、みたいな風潮になってきてるのって、なんだかな~。
証拠がないとかって、証拠って??みたいな。
今、まだ生きて体験してる人たちがいてこれだから、そのうち皆さんが証言できなくなったときって、もっといろんなことがなかったことにされたり、美化されるのかなと思うと、怖い~。
今のうちにしっかり話を聞いて、それを世の中に伝えることってすごく大事で、それがちずちゃんの使命でもあるよね。

私ももしじーちゃんが生きてたら、いろいろ聞いてみたかったなあ。
Posted by さとちゃん at 2007年04月05日 23:53
そうそう、まさにそれよ。
悪いことは全部なかったみたいに、
すりかえていく現象は怖いと思う。
その上、さらに最近は特攻の美化とかあるし。
私は玉砕も特攻も、
現場でそれをやった・やらされた人の魂に対しては、
とても気の毒に思うよ。
だけど、そのシステムはひどくグロテスクなものだと思う。
現場の人への鎮魂を、美化にすりかえてはいけない。
例えば「ひめゆり」の人たちが、
戦後フィクション化された自分たちの姿に感じる困惑も、
すりかえられた美化に、一つの要因があると思うんだ。
Posted by ちず。 at 2007年04月06日 05:58
大江健三郎「沖縄ノート」岩波書店vs
曽野綾子「集団自決の真実」WACの
(「ある神話の風景」PHP研究所の改題)
攻防はどうなったのでしょうか?
大江健三郎は、4日、
岩波書店と一緒に
文部科学省へ抗議声明を
送ったそうですが・・・。

    (つのい いちろう)
Posted by 角井 一郎 at 2007年04月06日 13:49
はて、その決着はどうなったんスかね?
Posted by ちず。 at 2007年04月07日 02:11