いが餅の謎

いのうえちず。

2011年04月04日 16:34

うちの田舎には、「いが餅」と呼ばれる食品がある。
上新粉×蒸し系の餅生地で、アンコを包み、
トッピングに食紅で色をつけたお米がのっかっているのだ。

呉では、「秋祭りの季節になると食べるもの」という認識だった。
広島市にはイガ餅はないと友人は言う。
まあ、呉だけのものなのだろうと解釈していた。

でも、ちょっと違ったらしい。詳しくは、日本いがもち研究所のサイトをご覧ください。

ふーん、類似品は全国にあるのか。。。

そして、昨日、久しぶりの読書を堪能していて、
「いがもち」の記述に巡りあったのだ。しかも八重山ネタで!




わしが読んでいた本は、こちら。


『八重山生活誌』宮城文・著


八重山、中でも石垣市登野城の暮らしについて、詳しく記されている。
この方は明治24年生まれ、八重山から初めて一高女へ進学した、
当時のエリート中のエリート。インテリ中のインテリですな。
八重山で初めての女子教員でもあったという。

ちょっと引用しましょう。


   ●イガムチ(毬餅ルビ=いがもち)
   生年祝いや三十三年忌の法事に作る盛菓子用の餅である。
   (材料) もち米 赤麹 うこん
   (作り方)①十五夜の小豆餅の格好に作る。②カシキ(おこわ)をさじ二杯ずつ赤と黄に染める。
   赤は赤麹を酒に漬けて摺鉢に入れ、摺り潰した液で染める。
   黄はうこんを摺り潰した汁に漬けて染める。染めたらどちらも水で洗っておく。
   ③餅に赤米、黄米をまばらに、ところどころに体裁よくつけて蒸す。
   (赤麹について) 赤麹とは米を蒸して赤い麹に作ったもので、
   中国から伝来した昔の食用紅で、
   酒に漬けて摺鉢で摺り潰して酒で溶いて染める。
   赤飯、餅、かまぼこなどの赤い色はすべて赤麹を使用した。


口絵の写真を見ると、赤いお米と黄色いお米が入り乱れて餅にくっついていて、
ちょっと呉のいが餅とは趣が異なる。



駄菓子菓子、なぜ石垣にいが餅があるのか。そのルーツはどこの何なのか、
この本では何も解き明かされていなかった。。。。。


ああ、気になる、いが餅の謎。。。。

いつか機会があったら、そのルーツに迫ってみたいと思うのだった。




余談ですが、著者の宮城文さんの本名は「ナヒヤマ」さん。
八重山ではありがちなワラビナーだったというのですが、那覇では相当珍しかったらしい。
ちなみにお友達は「ミダグ」という名前だったそうな。
2人とも、一高女に進学してみてビックリ。「変な名前」と冷笑されたのだそうな。

かえってそのおかげで、本島の女学生の誰よりも先に改名したことが、幸いだったと書かれていました。


ほうほう。


ちなみに、次号momotoに登場する百歳の女性も、
内地へ出稼ぎに行って、沖縄のワラビナーをバカにされたことがキッカケで、
自分で改名したのだとおっしゃっていた。

それがモダンでクールという時代だったんだよなぁ。しみじみ。
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