うちの田舎には、「いが餅」と呼ばれる食品がある。
上新粉×蒸し系の餅生地で、アンコを包み、
トッピングに食紅で色をつけたお米がのっかっているのだ。
呉では、「秋祭りの季節になると食べるもの」という認識だった。
広島市にはイガ餅はないと友人は言う。
まあ、呉だけのものなのだろうと解釈していた。
でも、ちょっと違ったらしい。詳しくは、
日本いがもち研究所のサイトをご覧ください。
ふーん、類似品は全国にあるのか。。。
そして、昨日、久しぶりの読書を堪能していて、
「いがもち」の記述に巡りあったのだ。しかも八重山ネタで!
わしが読んでいた本は、こちら。
『八重山生活誌』宮城文・著
八重山、中でも石垣市登野城の暮らしについて、詳しく記されている。
この方は明治24年生まれ、八重山から初めて一高女へ進学した、
当時のエリート中のエリート。インテリ中のインテリですな。
八重山で初めての女子教員でもあったという。
ちょっと引用しましょう。
●イガムチ(毬餅ルビ=いがもち)
生年祝いや三十三年忌の法事に作る盛菓子用の餅である。
(材料) もち米 赤麹 うこん
(作り方)①十五夜の小豆餅の格好に作る。②カシキ(おこわ)をさじ二杯ずつ赤と黄に染める。
赤は赤麹を酒に漬けて摺鉢に入れ、摺り潰した液で染める。
黄はうこんを摺り潰した汁に漬けて染める。染めたらどちらも水で洗っておく。
③餅に赤米、黄米をまばらに、ところどころに体裁よくつけて蒸す。
(赤麹について) 赤麹とは米を蒸して赤い麹に作ったもので、
中国から伝来した昔の食用紅で、
酒に漬けて摺鉢で摺り潰して酒で溶いて染める。
赤飯、餅、かまぼこなどの赤い色はすべて赤麹を使用した。
口絵の写真を見ると、赤いお米と黄色いお米が入り乱れて餅にくっついていて、
ちょっと呉のいが餅とは趣が異なる。
駄菓子菓子、なぜ石垣にいが餅があるのか。そのルーツはどこの何なのか、
この本では何も解き明かされていなかった。。。。。
ああ、気になる、いが餅の謎。。。。
いつか機会があったら、そのルーツに迫ってみたいと思うのだった。
余談ですが、著者の宮城文さんの本名は「ナヒヤマ」さん。
八重山ではありがちなワラビナーだったというのですが、那覇では相当珍しかったらしい。
ちなみにお友達は「ミダグ」という名前だったそうな。
2人とも、一高女に進学してみてビックリ。「変な名前」と冷笑されたのだそうな。
かえってそのおかげで、本島の女学生の誰よりも先に改名したことが、幸いだったと書かれていました。
ほうほう。
ちなみに、次号momotoに登場する百歳の女性も、
内地へ出稼ぎに行って、沖縄のワラビナーをバカにされたことがキッカケで、
自分で改名したのだとおっしゃっていた。
それがモダンでクールという時代だったんだよなぁ。しみじみ。