幼児語と家庭限定表現
娘たちが小さかった頃、なるべく幼児語で話しかけないようにしていた。
クルマをブーブーと言ったり、ごはんをマンマと言ったりしない。
クルマはクルマだし、食事は食事だ。
とはいえ、指示を出したり、叱ったりする時は
1)現場で
2)簡潔な表現で
3)人格を否定せず、行為を否定する
ことを徹底してきた。
ついでに、なるべく心がけてきたのは、軸がブレないようにするということだ。
昨日と今日で、ママの言うことが違う。
さっきはAという条件をつけたが、すぐに撤回し、Bとする。
これではコドモは混乱する。
多分、コドモだけじゃなくて、オトナも不快だもんね。
コドモは、生きてきた時間が短いので若い、幼い、経験が足りない。
でもそれだけだ。
半人前だからといって、オトナの都合でいい加減な扱いをしていると、
オトナを信用しなくなる。
too youngあるいはyoungな一人の人間なのだから、尊重すべきは尊重する。プライドは守ってやる。
ずっと、「私のこども」(こどもをペットや私物と勘違いしている人もいるが)というよりは、
「私より若い・小さいひと」として接してきた。その表れだったのかもしらん。
その結果、長女は3歳でも、あまり好きでない食べ物を
「口に合わない」と言うようになった。
でも、こどもらしい、かわいい表現をする時も、もちろんある。
「ちががでた」(血が出た)などはその典型。
期間限定のそれらの表現は、それとして愛しかった。
いちいち訂正せず、そのままにしておいた。
どうせ、いずれ卒業してしまう、こどもらしい表現。
ひと回り下のイトコが、言語を獲得していく過程で
「ネコがいる・ないねー」
と否定形を獲得した時の面白さが原点にあったかも。
当時、私は多分中1だったな。
「へえ!人間はこんなふうに言葉を覚えるんじゃ!」と新鮮だったから。
いつ気づくかなーと楽しみに待っていた言葉を、ついに中1の次女が卒業した。
「きもち・いい」を、なぜか「きもちい」と理解し、
過去形で「きもち・よかった」を「きもちかった」と言っていた次女。
娘たちが通っていた保育園では、2つちがいのきょうだいが多く、
上の子と下の子が同じクラス、という組み合わせが何組もいた。
たしか、長女のクラスで、誰かが「きもちかった」と言いはじめ、
それがそのまま長女にも定着し、次女にも伝染したんだと思う。
長女はいつの間にか「きもち・よかった」だと気づき、
現在形を「きもちい」から「きもち・いい」に切り替えていた。ちっ。つまらん。
ある日、首里から那覇に下りる道で、突然次女が言い始めた。
次女「最近気づいたんだけどさー、本当は【きもちい】じゃなくて【きもち・いい】なんでしょ?!
ずっと【きもちい】だと思って、【きもちかった】って言ってたけど、【きもち・よかった】だよね!?」
わし「ちっ。とうとう気づいたか。面白くない」
次女「なんでよー、なんで教えてくれなかったのー」
わし「どうせいつかは気づくから、いつ気づくかなーと思って、楽しみにしてたんだよ」
次女「何それー、ママいみふ(意味不明の略)」
わし「ちががでる、は、いつ気づいた?」
次女「それは小学校の時」
わし「あんたたちは4人とも(娘2人に姪2人)、【血が・が・出た】って、
血のことを【血が】って思ってたんだよ。あれはかわいかったな~♪
姪2号なんか、勝手にバージョンアップして、【蚊・に・刺された】を【蚊に・に・刺さった】って言うし」
次女「蟹が刺さったら、痛そう!(笑)」
そういえば、幼い頃の言いまつがいが、そのまま我が家だけで通じる、
家庭限定的表現、家庭方言化したものもあるなー。
「せんたくのばこ」
洗濯物を入れる箱のこと。
「ぷうちゃん」
次女の呼び名は、次女が生まれた時に長女がうまく発音できなかったのがそのまま定着した。
でも、今はそう呼ぶのはママおよびママの関係者だけなんだってさ。
あ、妹の昔の彼氏の言い方が定着したものもあったぞ!
「チャンネル機」
テレビのリモコン限定。
定着しなかった期間限定表現や、親子間での流行語的なものもずいぶんあった。
多分、これからもいろんな限定表現が出てくるんだろうな。
早速、次女が中学校で習ってきた、
「【あがー】の上級表現は【あがひゃー】である」という概念によるおふざけが、
我が家に定着しつつある。狭いながらも楽しいhome sweet home。ぷっ。
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