あけましておめでとうございます。

いのうえちず。

2012年01月03日 13:22

大晦日からダラダラと日本酒を飲み続けてました。
早く寝ちゃったので、元旦は朝5時起きでおせちを作るという
ぐうたら主婦新記録を更新。黒豆だけは旧年内に仕込んでいたのだよ。

さて、元旦。
お雑煮を食べて、昼寝をして、夕方から出かけようかいなと。
水筒に熱燗を入れ、バッグにはおちょこを入れ、おつまみに柿ピーを持って首里城へ。
下ぬ御庭で琉球舞踊を見ながら一杯、西のアザナで一杯と、
いやー、こりゃサイコーでした。またやろうっと。


1月2日は午前中から首里城に行こうと、また出かけました。



(これは大通りの時の写真です)

子之方御拝(にぬふぁうぬふぇー)はスパっとあきらめて、
朝之御拝(ちょうぬうぬふぇー)から見たかったのだが、
途中の駐車場係のバイトがあんぽんたんだったために遅くなってしもた。
着いた時は、すでに「ははー」は済んだ直後。ちっ。




なんちゃってでも、こういう行事がソレ風に再現されているのはやっぱり楽しい。
王府の行事を、厳密に再現するなんてムリだもん。雰囲気がわかれば十分だよなーと思う。



北殿はただいま漆の塗り替え中。



観光客も大勢いました。建物の中も2回ぐるっと見たけど、いつになく混んでました。



今年の王様と王妃様。

…こういう行事に王妃様は要らないんじゃない?と思う人は多いでしょうけど、
まあ、観光資源としては華やかなほうがいいでしょうからね。いいんじゃないかと。

「大通り」では、首里天加那志から賜った盃で泡盛を回し飲みします。
御玉貫が使われてるの初めて見ただよ。


お正月の飾りつけがされた御百浦添御殿。風情がありますのう。






ちなみに2008年の朝拝御規式の模様はコチラ


現在発売中のmomoto vol.9「百歳の流儀」では、なんと戦時中に南殿に住んでいた(!)
国吉シヅさんにインタビューしています。(しかも国吉清尚さんのお母さんで二度クリビツ)
おシヅさんが南殿に住んでいたのは、ご主人が、当時、
今の下之御庭(しちゃぬうなー)にあった第一国民学校の教員だったため。
軍隊帰りでイキオイがあったというご主人、なんつーか、警備員の当直を兼ねて、
南殿の一部を社宅的に使っていたというんですね。
水道がないから、龍樋の水を汲んできて生活用水にしていたそうです。(三度目のクリビツ)
さらにビックリしたのが、戦時中の暮らしといえばつきものの隣組が、
円覚寺と、円覚寺の近くにあった桃原農園の売店(!)、赤田御門の番人さんという。
赤田御門に人が住んでたのー!?ってのもビックリですが。
「狭い部屋で8畳間。カマドもあったわよ」という南殿の内部を詳しく知る人も、
もうおシヅさんぐらいかもしれないなぁ。

まだ証言者がいる今のうちに、近代史を学びたいと思うお正月なのでした。

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