小倉侍従日記
昭和14年8月2日
本日、せめて小笠原諸島は行って見たし、
委任統治領はむつかしきかも知れざれど、
事変でも終了せば、南洋は行って見たしとの仰せあり。
かく積極的にご希望をお洩らしありたるは、御珍しきことなり。
昭和天皇についていた、侍従の日記ですわ。
天皇陛下の、肉声を伝える貴重な資料だな~。
事変っつうのは、いわゆる支那事変、日中戦争のことですね。
日中戦争を、早く終わらせろ、陸軍は見通しを誤ったと言い、
日独伊三国同盟に最後まで反対していた昭和天皇。
この小倉侍従日記には、東宮ちゃん(皇太子殿下=今上天皇)をはじめとする
こどもたちを手元に置いておこうとする姿、
皇后陛下と夫婦ゲンカをされた姿なども書かれています。
人の日記とか手紙とかメールを見るなんて最低ですけど、
まあ、これは史料だからね^^;
と、思わず言い訳っぽいことを考えてしまうほど、
ちょっと生々しくて、非常に興味深いです。
ここで南洋とおっしゃったのは、委任統治領=旧南洋群島のことかな。
そりとも、漠然と東南アジアのことを指していたのかな。
いわゆる支那事変が終わったのは昭和20年。
とうとう昭和天皇が、旧南洋群島へ行くことはなかったわけですが。
でも、1946年に、旧南洋群島から横須賀へ引き揚げてきた人たちを慰問されて、
「ご苦労だったね」「坊や、寒くはないかね」
などと直接お声をかけておいでです。
それなりに、民草のことをお気にかけておいでだったのでしょう。
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