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文筆家もしくは、がちまやバカライター。座右の銘「愛と誠と肝心(ちむぐくる)」を小脇に抱え、人生街道をフルスロットルで驀進中。
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2008年07月23日

ちむぐくるを学びなさい。

肝心と書いて、ちむぐくる。

5月のある日、M先生んちに行きました。
原稿の確認をしてもらって、直しを沖スタ編集部に出さなくてはなりません。
お昼までには編集部に行かなくちゃという予定で午前中に伺ったんだけど、
いつものようにM先生のお話は止まらず(笑)、
結局直しが終わったのは日没後になってしまった。

「おはようございまーす」
「はいはい、おはようございます。こっちから入って」

縁側からひょいっと。正式なお客様じゃなくて、
気安いというか、カジュアルな客(例えばご近所さんとか)は、
お庭から直接どうぞ、なんだそうですよ。
家を建てるときに、昔ながらの、
縁側みたいな感覚で上がってもらえるような空間がほしくて、
そういう構造にしたんだって。

「あなたは沖縄のことを書くから、もっと沖縄のことを勉強したほうがいい。
今日は沖縄の肝心を学びなさい。
金城次郎の器にお茶を煎れてあげるから、ちょっと待ってくださいね」

そして出てきた器がこれ。じゃーん。

「ほら、ここ、ちゃんと銘もあるでしょう?」



おー!


※水平が甘くて気持ち悪い写真になっちゃった。ごめんなさいね。
「先生、金城次郎の作なんて、私にとっては
ガラスケースの中に入っているものしか見たことないですよ~!
こんな、実際に使わせてもらえるなんて、なんたる贅沢!」
「私も、その辺のお客さんには出しませんよ(笑)。
ヤマトのお茶碗で出すわ、ヤマトのお茶碗のほうが見た目は格好いいですから。
あなたはホンモノを勉強しなさい。」

やちむんも色々あるけど、さすがに金城次郎の作となると、
完成度が違うんだなー、と、いつもガラスケースの中をじーっと見てた。
私でも買えそうな値段のやちむんに比べると、
名陶の作と言われるものは明らかにクオリティが違い、造形の美を感じさせるもんね。
土のぬくもりを感じさせるのが、やちむんの良さだとよく言われるし、私もそう思う。
どっしりとした存在感は、パンで言うならライ麦の田舎パン、
女性で言うなら生活の知恵に満ちた農家のおかあさん。
でも、完成度と、どっしり感とは別モノで、それは両立できるんだな。
生活価格で売られているもののすべてが悪いというつもりは全然ありませんが、
中には、なんというか、ぞんざいに作られているものも、あると思う。
無名の陶工が作ったものでも、光る存在感のあるものもあるし。
まあ、結局は好みなのかもしれないけど。

この湯呑み茶碗は、小指を高台に添えると、手のひらにスッとなじむ。
いつまでも両手で持っていたくなる、不思議なフィット感。

「手なじみが違いますねぇ」
と感想を述べると、M先生は「そうでしょう」と言わんばかりにニヤリ。

「ヤマトのお茶碗でお茶を飲むとき、手はどうしますか?」
「えーっと、こう、ですよね」

左手の指を揃えて受け皿のようにして、右手も指を揃えてお茶碗本体を持つ。
お茶碗から手のひらは、離れる。

「沖縄のお茶碗はね、こう持つのよ」

先生は、両手ですっぽりとお湯呑みを包むようにした。

「昔は、畑に出る時に、土瓶にお茶を入れて行って、お昼に飲むわけ。
冷たいものを飲むのは体に良くないでしょう。
お茶碗にお茶を注いだら、お茶碗を手でこうして持ってね、
手の平で温めてから、自然の恵みに感謝して、いただく。
これが沖縄の肝心なんですよ」

  ※先生は便宜上、お茶をおっしゃいましたが、
   農民が貴重なお茶葉を使ってたという意味じゃないですよ、念のため。


多分、まだ私には全然わかってないというか、
皮膚感覚として染み付いてはいないと思う。
でも、こうして文化を知りなさいと指導してくださる師匠がいるというのは、非常にありがたい。
金城次郎の湯飲み茶碗を通して、私に沖縄を学びなさいとおっしゃる、
先生の肝心こそ、私には宝物だわ。

茶托も、おまんじゅうを載せたお皿も、琉球漆器。
ちなみに、天妃前まんじゅうでした。
「あなたクエブーがあるわ。私が自分で食べようと思って、買ってきてたんですよ」
クエブーというのは、口元のホクロのこと。
食いっぱぐれのない、食に関する運がいいホクロだと言われてます。
私の顔には、まじでがちまやホクロがついてますから。ほほほ。

戦争のことを取材するにあたって、
どの時期、どこでの体験談か、その人は何歳で、どんな立場だったか。
そのエピソードだけに焦点を合わせて聞くのではなく、
全体の流れをふまえた上で、体験談を聞きなさいと先生はおっしゃる。
そして、いろいろな人のエピソードを自分の中で整理することで、
戦争をどう捉えるか、自分なりに考えることができるはずだと。

木を見て、森を見て、また木を見て。あるいは、根もとや葉っぱを見て。
まだまだ道は遠いが。そして、まだまだわかっちゃいない自分だが。

この日は、お昼ごはんまでご馳走になって、
たっぷりとお話を聞かせてもらったのだった。
だしのとり方までレクチャーしてくださるんだから(笑)。


Posted by いのうえちず。 at 11:46│Comments(5)TrackBack(0)沖縄

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この記事へのコメント
ちむぐくる。
いろいろ聞いて経験して考えて得るものもあるし、意外と一瞬にしてパカッとわかるものもあるよね。
私もさ、馴染みのない習慣を持つところで生活してるわけだけど、その土地に根付くちむぐくるをひしと感じることがあるよ。
あたりまえだけど、だいたい「日本と同じまたは似ている」というものは感じやすく、そうでないものはなかなか感じにくいものだけどね。

土地だけじゃなくて、関わるすべての人にそれぞれ小さな歴史もあるわけで、それが織りなす壮大な歴史もある。

>戦争のことを取材するにあたって、
どの時期、どこでの体験談か、その人は何歳で、どんな立場だったか。
そのエピソードだけに焦点を合わせて聞くのではなく、
全体の流れをふまえた上で、体験談を聞きなさいと先生はおっしゃる。
そして、いろいろな人のエピソードを自分の中で整理することで、
戦争をどう捉えるか、自分なりに考えることができるはずだと。

↑これって人生そのものにも通ずるな。
Posted by 麻 at 2008年07月23日 17:55
金城次郎の器、私はガラスケースに入ったものも見たことがありませんが、

その箱書き、たいしたものだと、思います。

「壺屋焼 湯呑 次郎」
ちょっと読みづらいですが、伸びやかで、大胆かつ繊細。
つきぬけた感があります。
この字を書く人の仕事を見てみたいと思うような、銘です。


ちずさん、貴重な経験を色々なさっているのですね。
Posted by Kawaiea at 2008年07月23日 18:14
>麻ちゃん
その土地に根付くちむぐくるか。
そういうの、あるだろうな。

私、いつも感じるのがね、
いわゆる市井の人、一般の人たちの営みがあって、
そういう小さなきらめきが束になって歴史が作られていく、
営み一つひとつが、実はとてもいとおしいものなんじゃないかと。
坂本竜馬一人じゃ明治維新は作れないわけで。
突出した誰かの役割も確かにあるけれど、
文化も歴史も、常に「その他大勢」が担い手なのだということを忘れてはいかん。

>Kawaieaさん
おおお!さすが書の人!
箱の写真もとっといてよかった~。
私も、この「次郎」はいい字だなーと思ったんすよ。
いやまじで。^m^
Posted by ちず at 2008年07月23日 18:50
金城次郎の箱書きで、
検索したオークションの画像を数件見たものの、
マジックや筆ペンで書いたとおぼしきものが多く、文字も今ひとつ伸びがない。

ちずさんの目は確かでしたね。
Posted by Kawaiea at 2008年07月23日 19:02
うひょー、まじっすか!?
やるじゃん、あたし!

なんちゃって。
Posted by ちず at 2008年07月23日 21:14