2007年03月15日
テニアンに残りたい。
テニアンでは、地上戦線の南下に伴い、民間人は米軍に保護されていきました。
当初はハゴイにテント村(まさにキャンプ)を作って、とりあえずそこに収容していたのですが、
人数が膨れ上がって収集がつかなくなってきて、チューロに収容所を移設したそうです。
チューロキャンプという通称は、ハゴイにあったのがテント村だったからでは?という人もいますが、
えー、とにかく、チューロにあった収容所はチューロキャンプと呼ばれていたんですよ。
最初は、破壊された民家や施設から、破れトタンを拾ってきて、
本当に雨露をしのぐだけの、柱と屋根だけの、不衛生な収容所でしたが、
少しずつ状況が整い、壁がつき、床をはり…と、人間らしい生活ができるようになったそうです。
学校や事務所などはコンセット。(カマボコ型の簡易兵舎)
トイレはトタン板で囲っただけの、露天でした。
昭和21年1月から民間人の引き揚げが始まります。
ところが、この時、残っていいよと言われた人たちがいました。
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当初はハゴイにテント村(まさにキャンプ)を作って、とりあえずそこに収容していたのですが、
人数が膨れ上がって収集がつかなくなってきて、チューロに収容所を移設したそうです。
チューロキャンプという通称は、ハゴイにあったのがテント村だったからでは?という人もいますが、
えー、とにかく、チューロにあった収容所はチューロキャンプと呼ばれていたんですよ。
最初は、破壊された民家や施設から、破れトタンを拾ってきて、
本当に雨露をしのぐだけの、柱と屋根だけの、不衛生な収容所でしたが、
少しずつ状況が整い、壁がつき、床をはり…と、人間らしい生活ができるようになったそうです。
学校や事務所などはコンセット。(カマボコ型の簡易兵舎)
トイレはトタン板で囲っただけの、露天でした。
昭和21年1月から民間人の引き揚げが始まります。
ところが、この時、残っていいよと言われた人たちがいました。
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